人吉・球磨の文化史跡・遺跡 スポット 15選
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勝福寺古塔碑群
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
荒茂の勝福寺跡にあり、鎌倉時代から江戸時代末までの住職や豪族の古塔碑が数多く残り、中でも弘安四年(鎌倉時代)の五輪塔は、球磨郡でも最も古い年号をもつ。そのひっそりとした趣は、勝福寺の歴史の深さを彷彿させる。
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小原横穴古墳群
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
五つの横穴があり、そのうち一つには丸い模様が掘り込まれているので、装飾古墳とも呼ばれます。装飾古墳は、球磨地方では人吉駅の裏にある大村横穴や、錦町の京が峰横穴と、この小原横穴の三箇所だけで、貴重なものといわれています。
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三ツ石横穴古墳群
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
横穴群5〜7世紀初め頃の古墳8基。
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石坂鍋野古墳群
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
8基、石室の石や入口が露出している。
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仏像焼却跡
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
弘治年間の一向宗禁制の時、仏像を集めて焼却したと伝えられている。
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十四人淵
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
川辺川、貞享4年8月1日、禁令を犯した罰の処刑に先立ち、一族14人が身をなげた淵。
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大村横穴群
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
凝灰岩の丘陵の断崖にあり、装飾されたものもある。1400年前の墓地。国指定史跡。
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千人塚古墳
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
約2haに径8〜4mの円墳が10数基散在している。
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大師のコウヤマキ
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
コウヤマキの大木中の代表的なもので、槻木大師堂の境内にある。樹令約600年と推定。(重文)
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百太郎溝取入口旧樋門
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
凝灰岩でつくられ、高さ5.8m・全長9.5mに及ぶ後方の渡し石等を主材としている。水利事業にかかわる文化遺産として貴重なものである。
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鬼の釜古墳
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
巨石で周囲を築造した横穴式石室古墳、此地を支配していた豪族の遺跡。
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才園古墳群
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
免田永才の才園には、四つの古墳があったといい、今では二基の古墳が残る。昭和13年2月、公会堂建設工事の折、2号墳の石室を掘り当て、そこから刀剣、玉、馬具類、鏡など数多くの遺物が出土した。そのうち「リュウ(龍の下に金を書いた文字)金獣帯鏡」は、直径11.6cm白銅鏡の背面全体に分厚く金が鍍金され、今なお金色に輝いている。現在、熊本市博物館で展示中。
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麓城跡
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
上麓地区にある山城で別名亀城ともいう。人吉市の支城で上村氏の居城であった。高城・中城・下城で構成される壮大な山城。永禄10年(1567)上村氏没落後は犬童美作の居城となる。
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麓馬場どおり(武家屋敷跡)
熊本県 人吉・球磨
- 旧街道
上麓地区に残る武家屋敷跡。鎌倉から南北朝時代にかけてこの地を統治した上村氏の家臣達の屋敷や蔵、生け垣などがこの細い通りにあったと言われている。今でも、生け垣などが残っている。
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人吉城跡
熊本県 人吉・球磨
- 史跡
球磨川の川面に深い影をおとす人吉城は、もと平頼盛の代官矢瀬主馬助の山城だったが、建久9年(1198)相良長頼が矢瀬氏を滅して城主となった。以来、明治維新による廃藩置県まで700年、相良氏が歴代にわたって居城した。「繊月城」という別名をもつ。球磨川と胸川を自然の堀とし、球磨川に迫る険しい地形を利用した要害といえる。城の建物は享和2年(1802)、文久2年(1862)の失火と、西南の役の兵火に焼けて現存していないが、近世初期に築かれた本丸石垣や石段、古井戸などが歴然と残り、当時をしのぶことができる。水手門の武者返し(刎ね出し)は、北海道の五稜郭に倣った新様式で、城跡全域が国の史跡になっている。日本百名城に選定されている。
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