岩手県の神社・仏閣 スポット 20選
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榊山稲荷神社
岩手県 盛岡
- 神社・神宮
盛岡の街づくりが始まった慶長2年に、榊山稲荷大明神を盛岡の守護神として城内に祀ったことから始まります。藩政時代は、藩主から一般庶民にいたるまで篤く信仰され、「もりおか開運神社」と称され崇められました。その後、明治維新の改革により廃社となったものを、昭和の初めに再興され今では社殿・社務所・参集殿はもとより、盛岡藩時代から由縁のある名勝庭園「緑風苑」を有し、境内は壮厳あふれる神域を醸し出しています。
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盛岡八幡宮
岩手県 盛岡
- 神社・神宮
盛岡藩南部氏鎮守。八幡宮例大祭では山車の巡行や流鏑馬が有名、境内には米内光政像、田村了咲句碑などがあります。南部氏は、もともと八幡神を氏神と仰ぐ家柄でした。今から約800年ほど昔に南部の藩祖である南部光行公が、 居城を三戸から不来方に移す際に、不来方の豪族である日戸氏が代々信仰していた鳩森八幡宮を修復し、 この地方の守護神として城内におまつりし、氏神と仰ぎました。城内の八幡社を藩主が篤く信奉することから、城下の民衆も自然に八幡神を崇敬するようになりました。 そのため、新たに崇敬の中心となるべき八幡神社の造営が必要とされ、 寛文11年に南部29代重信公が、商業の流通を図るために、町の中心部を整え、 新八幡宮の造営に着手しました。約1万5千坪の広大な境内地を定めて寛文11年に着手された造営工事は約8ヵ年を要し、 延宝8年にご本殿を始め、流鏑馬(やぶさめ)馬場等の主な建物や施設が整いました。 新八幡宮造営にあわせて、門前の町づくりにも着手し、その竣工と同時に門前町である八幡町が完成しました。 八幡町は、盛岡八幡宮の歴史とともに発展し現在に至っています。
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龍谷寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
龍谷寺(りゅうこくじ)は明治4年から明治28年まで 石川啄木の母方の伯父、 葛原対月(かつらはらたいげつ)が住職だったお寺。 対月の弟子であった啄木の父、 一禎(いってい)と対月の妹であった啄木の母カツが結ばれたのもこの寺だった。 対月は早くから和漢の書を修め、 易学、茶道に通じていたが、特に和歌に関しては一禎に大きな影響を与えた。 少年時代の啄木はしばしばこの寺を訪れ、 伯父の対月から詩歌の手ほどきを受けたといわれている。 境内には、国の天然記念物「モリオカシダレ」もあり、 春になると市民の目を楽しませてくれる。
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聖寿寺(聖寿禅寺)
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
南部家菩提寺であり、お亀地蔵、横川省三の墓があります。また盛岡市指定の重要文化財に指定されているマリア観音が所蔵されています。五重塔は1805年に南部藩主により当時5千両の大金で建立されたもので、江戸の谷中の五重塔を真似て作られたものであり古い盛岡城下図面にも描かれています。その五重塔の中にあるお亀地蔵は南部の殿様の側室であった亀姫の身代わり地蔵と伝えられていて子安地蔵尊・安産の地蔵として知られるようになりました。
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大泉寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
貞女おかんの墓で知られる大泉寺(だいせんじ)。山門真正面に本堂独特の宝形式反り屋根の木造平屋建の寺院が見える。始め瓦葺だったが修理して現在の銅板一文字葺になったと言う。車寄せ屋根は起り(むくり)破風であるので垂木は一本曲がりものでできているが,本堂は反り屋根,車寄せは起り(むくり)破風で対照が面白い。車寄せの柱梁はけやきで柱脚は礎石に乗っている。梁は虹梁(こうりょう)で彫刻文様があり,蟇股,斗拱(ときょう)の組合せの造り方になっている。本堂は床高く,風通しよく考えられ,床束,柱,土台は御影石に据付けられている。本堂内部は外陣は板張りの床だったが,畳敷きになっている。天井は竿縁(杉)で,簡単なものである。外部建具は硝子戸になっているが,古くは紙貼り障子に雨戸であったと思われる。雨戸は現在はないが平鉄をはった戸溝が残っている。内陣は3.5間×2間で共に天井は格天井(ごうてんじょう)で折上(おりあげ)部は簡単である。内々陣の南面,北面の中柱2本づつはけやきの円柱がある。内々陣と内陣,その他隣室の長押欄間には見事な木彫の桃山風立体籠の彫刻がつけられている。裏側は板になっている。各内陣,内々陣その他隣室の長押梁には文様の木彫がされてある。 須弥壇の勾欄には唐様で親柱に鎌倉時代から出現した逆蓮柱になっている。 なお,車寄せの正面妻飾りが特徴があり懸魚(けんぎょ),母屋鼻かくし,蟇股等の木彫は興味を引くものである。 ※貞女おかんの伝説:慶長年間の不来方城(こずかたじょう)築城のころのことです。工事人夫の三平には、おかんという美しい妻がいました。棟梁の高瀬は、かねてからおかんに横恋慕していて、三平を亡き者にしようとたくらんでいました。それを知ったおかんは悩み、「夫の三平を、明日の朝早く馬で観音参りに出すので、鉄砲で撃ち殺してほしい」と高瀬に頼みました。あくる日、高瀬は三平を手はず通り撃ちました。しかし、そこに倒れていたのは三平に変装したおかんの変わり果てた姿でした。罪の深さを知った高瀬は、大泉寺におかんを葬り、三平とともに僧侶となって供養しました。
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東顕寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
盛岡市に現在ある寺院の中では、最も歴史が古いと伝えられている。本尊は釈迦牟尼仏で、三尊仏は京都大仏師・駒野丹下定正の作で、唐様の三尊仏は珍しい。 裏側に三ツ石神社という、三個の巨大な花崗岩の岩が立ち並ぶ神社があり、その三ツ石に「岩手」の名のおこりの鬼の手形がある。また、文化講座の開催や釈迦降誕会法要、舟っこ流し行事も行っている。
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大慈寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
寛文13年(1673)の創建。明治17年の大火で焼失したが、平民宰相・原敬の寄進建立で現在に至る。 大慈寺の境内には、大正11年東京駅で一青年の凶刃に倒れた原敬が、その遺言により眠っている。 また、盛岡ならではの送り盆行事「舟っこ流し」発祥の寺院。 大慈寺では「普茶料理」と呼ばれる山草野菜を材料とした素朴な精進料理(中国風の素朴な味は見た目にたいへん美しく、先人から授かった医食同源の知恵を継承)を食することも可能だが、 その場合は事前予約(12名以上70名位まで、1人7,000円から)が必要。
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報恩寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
報恩寺(ほうおんじ)は広大な座禅堂と五百羅漢(ごひゃくらかん)で藩政時代から有名。 石川啄木がまだ盛岡中学の学生だったころ、この北山一帯の風光をこよなく愛し、級友とよく散策したといわれる。(詩集「あこがれ」の中の「落瓦の賦」は報恩寺をうたった。)また、 宮沢賢治は 盛岡高等農林学校時代に報恩寺で参禅している。五百羅漢は報恩寺の羅漢堂に納められた尊像で、499体が現存。胎内の墨書銘から、1731年(享保16)、報恩寺代17世和尚が、大願主として造立、4年後に完成した。尊像は京都で9人の仏師によって製作され、盛岡に運んだ輸送用の箱は台座として再利用された。五百羅漢の五百という数字は、多数という意味で、それぞれの尊者に名はなく、服装からは印度・西域・支那の僧の風貌・容姿が連想され、マルコ・ポーロやフビライ・ハンの像もある。五百羅漢の現存は全国で50例ほど確認されているが、木彫りで499体が現存し、造立年代、尊像の製作者まで明確に知り得るのは、全国的にもまれな例といえる。昭和41年に盛岡市の文化財に指定された。
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永祥院
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
境内に、清水観世音をまつる観音堂や、酒買地蔵の伝説などで有名な酒買地蔵堂がある。※酒買地蔵伝説※昔、材木町のある酒屋に毎晩酒を買いにくる物言わぬ小僧がおりました。ある晩のこと、 貸した小樽を返さぬことに腹を立てた番頭は、小僧の頭を木槌でなぐってしまいました。 けれども、帰って行く小僧の身を案じた酒屋の主人は、そっとあとをつけました。ところが永祥院(えいしょういん)のお堂の前まで来ると、小僧の姿が見あたりません。 不思議に思ってお堂の中をのぞいてみると、何と貸した小樽が山のようになっています。 ふとお地蔵さんを見上げると、その眉間に傷がついているではありませんか。 そのとき、酒屋の耳に「お客様には親切にしておあげなさい」と鈴のような声がきこえました。 「もったいないことをした、毎晩このお地蔵様が化身されてお酒を買いに来られたのだ」 と酒屋は心から悔やみました。その後、酒屋は親切第一に商売に励み、 縁日にはお地蔵様にお酒を供えて商売繁盛の守り本尊としておまつりをしました。 するとお店は大繁盛、健康と賢い子宝にも恵まれました。
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久昌寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
寺のシンボルである山門は、総ケヤキ造り。昭和8年の落成で屋根を支える垂木が放射状に伸び見事な反りを描く「扇垂木造り」が特色。山門の周囲には獅子頭、昇り竜など数々の彫刻がはめ込まれ、1つひとつにいわれがあるという。なお、本堂前にあるシダレカツラは、盛岡市大ヶ生の瀧源寺にある天然記念物シダレカツラより分かれたものといわれている。
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桜山神社
岩手県 盛岡
- 神社・神宮
社殿が盛岡城三の丸跡にあり、江戸時代中期の寛延2年に創建され南部藩の総鎮守として信仰されました。国の重要文化財に指定される南北朝時代初期の国長作の刀が所蔵されています。毎年5月25日から3日間行われる例大祭では、お神輿が騎馬武者に先導されて盛岡市内を練り歩き境内には多くの出店が立ち並びます。また、1月26日に開催される伝統行事裸参りは盛岡の冬の風物詩として有名です。
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光台寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
市指定文化財の盛岡城下絵屏風が所蔵されてる。また、むかで姫の墓もある。(その伝説は以下のとおりです。)※昔、於武(おたけ)の方は、先祖がむかで退治に使った矢の根を持って、 南部家27代利直公に嫁いできました。 於武の方が亡くなったとき、遺体の下の変色した形が、むかでのはいまわる姿に似ていたことから、 「於武の方が持ってきた、むかでを退治した矢の根石の怨念にちがいない」と人々は驚き恐れました。この奇怪な出来事に利直公は、むかでは水を嫌うことから、堀をめぐらした土手の上に、 石垣でかこまれた墓の建立を命じました。ところが、堀にかこまれた墓地に見事な橋が架けられ、 殿様の渡り初めを待つ夜に、不思議なことに一夜のうちにその橋が壊され、大騒ぎとなりました。 その後、何度橋を架けても、むかでが出て壊してしまいました。 於武の方の墓には、大小のむかでが無数に出て、於武の方の髪の毛が片目の蛇となって石垣の間からはいまわり、 墓守は石の間に鉛を流し込んで防いだともいわれています。人々は、これらの出来事は矢の根石にまつわるむかでの怨霊のせいだと噂し、いつしか於武の方をむかで姫、 墓地を「むかで姫の墓」と呼ぶようになりました。
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永泉寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
左甚五郎の作と伝えられている木像七福神はじめ多くの文化財を有する。※滝ノ上観音縁起:旧中野村に白滝という場所があり、最近まで幅2メートル、高さ数メートルの滝があった。昔ここに観音様が祀られていた。あるとき、付近に山火事が発生し危うく類焼しそうになった。観音様は自ら難を逃れて永泉寺に飛んでこられたと伝えられる。それ以来、当寺に祀られ、滝ノ上観音と崇められ盛岡三十三番札所の七番として信仰を集めている。
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円光寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
盛岡に生まれ、内閣総理大臣、海軍大臣をつとめた米内光政が眠っている。本堂は市指定保存建築物に指定されている。また、元禄5年(1692年)に植栽された、盛岡市指定天然記念樹の夫婦(めおと)桂樹がある。
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東禅寺
岩手県 盛岡
- お寺・寺院・仏閣
建武年中に遠野市附馬牛で無盡妙什和尚が開山したといわれる古い寺だが、寛永12年南部重直公が盛岡城が完成し移城と同時に藩公の命により遠野から移ったと言われている。境内には五基の歴代南部家藩主の墓をはじめ多数の藩士の墓があり、また、天明飢餓餓死の千人塚や、宝暦供養塔、蜂蜜の供養塔もある。
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三ツ石神社
岩手県 盛岡
- 神社・神宮
名須川町の東顕寺の裏に、注連縄(しめなわ)が張られた3個の苔むした大石があります。いつの頃からか「三ツ石様」と呼ばれ人々の信仰を集めていました。その頃、盛岡城下には羅刹(らせつ)という鬼がいて、その悪行に苦しめられていた人々が、この三ツ石神社に祈願したところ見事鬼は退治されたといいます。その時、二度と悪さをしない、もうここには来ないという証として、鬼に手形を押させたのがこの三ツ石であり、「岩手」の地名伝説になったといわれています。
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横山八幡宮
岩手県 三陸海岸
- 神社・神宮
宮古の地名の由来を伝える古い神社。境内には宮古の地名の由来になっている「神歌碑」が建っています。 義経北行伝説が伝えられており、義経・弁慶をはじめとする主従が松前渡海の安全祈願のため参籠した所で、弁慶直筆の大般若経が収まっていた観音堂があった。家臣の鈴木三郎重家は、老齢であったため残留し、名を重三郎と変え、この八幡宮の神主となったといわれている。
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常安寺
岩手県 三陸海岸
- お寺・寺院・仏閣
曹洞宗のお寺で華厳院の末寺にあたる。常安寺七世,霊鏡竜湖の時代,享保元年には大修理が加えられた。霊鏡竜湖は浄土ヶ浜の命名者として知られ,また浄土ヶ浜にある「賽の河原の子安地蔵」の建立者でもあります。
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長安寺
岩手県 三陸海岸
- お寺・寺院・仏閣
約900年前に創建された東北屈指の名刹。高さ20mにも及ぶ総ケヤキ造りの山門が堂々と構えています。長安寺のシンボルともいえる山門は、1796年に着工されましたが、禁制のケヤキを使用した上17.5mの高楼であるという二つの理由で、伊達藩より取り壊しを命じられました。しかし1807年、「廓念坊秀諦」が弁明に努め、工事続行不可を条件に黙認されました。そのため、扉なし、袖なし、開きなしの門となっています。現在の本堂は明治16年(1833年)の創建です。境内には、市の天然記念物に指定されている、「奥州しだれ桜」「長安寺大イチョウ」も見ることができます。
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龍福山長谷寺
岩手県 三陸海岸
- お寺・寺院・仏閣
東北地方最古級とされる木造如来座像と県指定の重要文化財の木造十一面観音菩薩立像を有する長谷寺。平安時代から鎌倉時代の作品で、お経を唱え魂を入れながら彫り上げる一木造りの「鉈彫(なたぼり)」という技法で彫られているのが特徴。 坂上田村麻呂に滅ぼされた「赤頭」という鬼の首を埋めた墓上にお堂を建てたと伝わる。仏像が保管されている収蔵庫には当時の暮らしを書き記した「絵馬」と「鬼の歯牙33枚」も保管され、拝観することができる。県指定文化財の木造如来坐像と木造十一面観音菩薩像は平安末期の作とされる。平安から鎌倉にかけて気仙郡内の信仰を集めたといい、境内に文化財的古碑が7基残っている。
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