鹿児島離島の郷土芸能 スポット 15選
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井之川夏目おどり
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
旧七月の「浜下(オ)り」の行事の中で踊られる。現在でも浜下りの二日目にあたる盆後の丁の日必ず行われ、夕方から護岸の広場で踊り始められ、やがて一軒一軒を一晩中かかって三日目の戊の朝まで踊り歩く。踊りは男女掛け合いの歌に合せて男女幾重もの輪をつくり展開する。各家々を廻り終ると最後に「イビ加那志(カナシ)」の聖地で踊る。
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手々ムチタボレ
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
頭には白い布をかぶり、右手に扇子・左手には短い竹の棒を持った男性陣と浴衣姿の女性陣の踊り手たちが歌や三味線・太鼓に合わせて農産物の豊作に感謝し、次の豊作を祈って踊りながら各家々を訪問する。
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尾母アキムチ
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
アキムチは、今期の豊作に感謝し来期の豊年を祈願する祭りで、お祝いなどのあった家々を訪ねながら、集落の氏神である溝川(じょうご)神社に戻ります。 「イッサンボー」と呼ばれるかかしに似た人形を先頭に、たいまつを掲げて大勢の住民が集落内を回り、にぎやかな踊りを披露します。
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ネンケ
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
亀徳集落で毎年の恒例行事「ネンケ」が同集落の中央を通る県道沿いで行われます。 ネンケとは、方言で「水掛け」のことで、無病息災を願って水を掛け合う祭りです。
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八月踊り
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
「目手久八月踊り」は、明治の昔から今日までその時代々の人々により豊作を祝い、五穀豊穣を願って毎年夏の伝統行事「浜下り」「始給米」そして旧八月「十五夜」と夏から秋にかけて踊っていたもの。この踊りは、4,50人の老若男女が輪になって太鼓のリズムに合わせ、男と女が唄を掛け合いながら踊るもので、はじめはゆっくりと、次第にテンポが早くなり激しい踊りとなるもので、歌も男に続いて女が歌うが、テンポが早くなると女歌が終わらないうちに男の歌がかぶさり、この歌のオーバーラップするところがより踊る人の快感を誘い、さらにテンポが早くなると踊り手は興奮のるつぼとなる。
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ションマイカ
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
ションマイカ踊りは、大正時代の頃から上面縄で唄い踊り継がれている上面縄独特の郷土芸能の一つです。そのルーツは富山県八尾町の風の盆で有名な「越中おわら節」だと伝えられています。当時、関西方面の紡績工場で働いていた上面縄出身の若い男女が、帰省した折に習い覚えた唄と踊りを上面縄の若い人達に伝承したのが、始まりだと言われています。その歌詞や曲調が男女の掛け合い唄であり、島唄とも共通する点で、郷土面縄の生活風土にもすっかり溶け込み、親しまれ愛され戦前戦中戦後を通じて多くの先人の努力により「越中おわら節」とは趣を異にする面縄独特の形で、今日まで伝承されてまいりました。男性が上の句をつけて唄いながら踊る男女のテンポが早くなり、唄も踊りもクライマックスに達します。ヤマト(大和)の文化が今ではションマイカ踊りとして、上面縄の地に深く根付き、五穀豊穣を願う踊りとして継承されています。
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イッサンサン
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
伊仙町に残る豊年まつり。イッサンボーと呼ばれるかかしを先頭にたて子供たちが集落の家々を祝福して回るもの。イッサンボーは福の神を意味しているという。
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ヤッコ踊り
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
勇壮で元気の出る祝の舞。
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琉球舞踊
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
沖縄で琉球王国時代から伝わる伝統芸能。
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上平川大蛇踊り
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
上平川大蛇踊りは、日本各地に伝えられている蛇踊りとは、その蛇の操作のしかたが変わっていて、十数メートルの3本の竿に大蛇を吊り下げて操作します。 この踊りは、上平川の幸山政孝が、薩摩藩への貢ぎ物の御用を無事すませて帰島する途中に、嵐にあい明国に漂着。そこで暮らす内にこの踊りを覚え、数年後、沖永良部へ帰る船便の都合で琉球に立ち寄り、琉球の歌と踊りをこの踊りに取り入れ、大蛇踊りを完成させて上平川へ伝えたと言い伝えられています。 踊りの内容は、次のような物語になっています。 「ある寺の和尚さんが旅に出る事になり、小僧たちに『留守の間、寺に女性を泊めてはいけない』と注意して旅に出た。月日が過ぎたある夜、美しい娘の一夜の宿の頼みに負けてとめることになった。小僧たちが娘の唄や踊りを楽しんで眠ったところ、その娘の正体は蛇の化身であり、大蛇となって小僧たちを襲ってきた。なす術を知らない小僧たちは恐れおののくばかりであったが、その時和尚さんが帰ってきて、全員で一生懸命お経を唱え大蛇を退治した」 以前は、この踊りをする度に大蛇踊りに使う道具のすべてを集落総出で作り、踊りが終われば焼却していましたが、現在は大事に使用し出来るだけ保存するようにしています。 上平川の大蛇踊りは、大変珍しく、また、文化的に価値の高い文化財だということで、鹿児島県無形民俗文化財として指定され保護されています。
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瀬利覚獅子舞
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
瀬利覚集落の獅子舞は、沖縄本島をはじめ日本の各地で厄払いの行事や豊年祭の出し物として踊られています。 瀬利覚の獅子舞が、何時の頃どのようにして伝わってきたのかは、記録が無いのではっきりとしませんが、古い時代に中国大陸から沖縄に伝わり、沖縄からその信仰と共に沖永良部に伝わったものだと思われます。それは、獅子のつくり方や踊りかた、使う道具等、沖縄のものと大変よく似ていることで知る事ができます。 獅子舞の演出 1.最初に二人の舞子が登場し、アヤカビルの舞を踊ります。 2.アヤカビルの舞が終了すると、太鼓と誘導者に誘われて獅子が姿をあらわします。 3.獅子の踊りが行われ、途中の休み々に合わせて獅子が踊ります。 4.獅子が退場すると、アゲチクテンと余多打ち畑の曲を全員で踊ります。
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久志検チンカラ踊り
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
今からおよそ二百年前、久志検の川畑中納という人が、当時の上役人と三名で薩摩に貢物(税金)を納めに行きましたが、その御用を済ませて帰るまでの期間地方をまわって見物している内、ある集落で楽しそうな珍しい踊りを発見しました。氏は、この踊りを教えてもらい、しっかり身につけてから島に帰り集落の人々にも教え伝えました。これが、久志検集落のチンカラ踊りの始めだと言い伝えられています。 同時に、氏は踊りの用具一式、タスキ・ハチマキ・ノボリ・リボン等たくさんの物を持ち帰り伝えました。チンカラ踊りの原名は、現在ははっきりしませんが、踊りに使う鳴り物の音から、チンカラ踊りという俗称で呼ばれるようになり、現在は、久志検チンカラ踊りとして踊っています。
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正名ヤッコ踊り
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
沖永良部島において、ヤッコ踊りは昭和初期の頃までサイサイ節踊りのように、各集落で唄い踊られていた一般的な踊りだったようですが、現在は、知名町の正名集落や和泊町の国頭等、数集落に伝承されているだけになっています。 正名集落のヤッコ踊りは、畦し越い(あぶしぐい)・天ぬ群星(てぃんぬぶりぶし)・久高マンジュウ主の三曲構成になっています。踊り手の数に定数は無く、舞台の広さやその場の状態によって踊り手の数がかわります。現在、集落や町などの公的行事や各家庭の祝いの座などで、老若男子の集団舞踊として勇ましく軽快に踊られています。
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西目イシシハカマ踊り
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
この踊りは、歌詞からみると、熊本や鹿児島で江戸時代に大流行した地突歌や祝儀歌と同じ内容になっています。 江戸時代の終わりの頃、上城の沖野松盛氏が代官付人として鹿児島へ行った時に、この歌を習い覚えて帰り、西目の踊りの先生方や三味線の名人達と協力して創ったのが、この踊りの始まりだと言い伝えられています。 この踊りは、初め上城の高野家(イ・フーニ)を中心に伝承され教え広められていましたが、現在は、西目地区の無形文化財として、上城・下城・新城の全集落で唄い踊られています。
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与論十五夜踊り
鹿児島県 鹿児島離島
- 郷土芸能
与論十五夜踊りは、島の豊年祭でしか見られない伝統的な踊りです。五穀豊穣と島中安穏を祈願して年3回地主神社(琴平神社)で行われ、その踊りは大和風(1番組)と琉球風(2番組)の踊りで構成されています。旧歴8月は綱引きや獅子舞、旧暦10月は奉納相撲も同時に行われます。境内には与論献奉の輪の中で一汁一菜を持ち寄り、祭を祝う人たちでいっぱいになります。
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