稚内・留萌の歴史的建造物 スポット 5選
-
北防波堤ドーム
北海道 稚内・留萌
- 歴史的建造物
設計者は北海道大学を卒業して3年目、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた当時26歳であった土谷実氏です。北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。 半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の景観がよみがえり、高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式です。2001年に北海道遺産に指定されています。
-
旧海軍望楼
北海道 稚内・留萌
- 歴史的建造物
帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したもので、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、東シナ海のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、戦略上極めて重大であったことから、同望楼の海上監視にも、任務の重要性が課せられました 日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後も、大正9年沿海州で起きた尼港事件(※)では無線通信基地として、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用されました 稚内では明治年代の建築物で現存する唯一のもので、昭和43年12月、市の有形文化財に指定されました ※尼港事件(にこうじけん) アムール河(黒竜省)河口から40キロメートル上流の港町尼港(ニコラェフスク)で発生した邦人虐殺事件。ロシア革命後、わが国のシベリア出兵に反感をもつパルチザン(遊撃隊)が、大正9年3月から5月の間に引き起こした事件で、日本守備隊、邦人合わせて700人が虐殺されています
-
旧瀬戸邸
北海道 稚内・留萌
- 歴史的建造物
昭和20〜40年代。稚内のまちは、底曳船漁の前線基地として国内各地から人が集まり、活気にあふれていました。そのさなかの昭和27年。稚内が町から市へと発展をとげた年、「旧瀬戸邸」は瀬戸常蔵という底曳きの親方の邸宅として建てられました。日本最北端のまちに残る、戦後まもない昭和の建物を保存するとともに、稚内の漁業の歴史を伝えていきます。また、この旧瀬戸邸は平成24年12月14日に国の登録有形文化財に「旧瀬戸家住宅主屋」として答申されました。平成26年6月21日に国の登録有形文化財に登録。
-
旧商家丸一本間家
北海道 稚内・留萌
- 歴史的建造物
平成15年12月に国の重要文化財に指定。
-
旧花田家番屋
北海道 稚内・留萌
- 歴史的建造物
日本最北の国指定重要文化財「ニシン御殿」。現存する漁夫の宿泊施設をおり込んだものとしては、道内最大のもの。
稚内・留萌の歴史的建造物探し
稚内・留萌で体験できる歴史的建造物の店舗一覧です。
アソビュー!は、稚内・留萌にて歴史的建造物が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの稚内・留萌で歴史的建造物を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。