八代・水俣・湯の児の歴史的建造物 スポット 9選
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松浜軒
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
八代城主松井直之が母、崇芳院尼のため造った茶室。 「浜の茶屋」として人々に親しまれています。 国の指定名勝。
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水俣市立蘇峰記念館
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
蘇峰が先祖徳富家の教育に寄せた関心と、父淇水の、郷土愛を忍んで町に贈った寄付をもとに昭和4年町立淇水文庫(図書館)として開館。その後昭和58年に、蘇峰・蘆花の業績を伝えるため、いまの「蘇峰記念館」となる。館内では、蘇峰を中心に、淇水・蘆花に関する資料を展示している。
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徳富蘇峰・蘆花生家
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
徳富兄弟は熊本の生んだ偉大な文豪である。蘇峰は文久3年(1863)、蘆花は明治元年(1868)水俣市に生まれた。父一敬が明治3年熊本藩庁出仕となって熊本に移り住むまで幼年期を水俣で送った。蘇峰は本名猪一郎。明治19年「将来之日本」を出版し、上京して民友社を設立した。明治20年「国民之友」、23年「国民新聞」を創刊して平和主義を提唱。多くの文学者を育て一大ジャーナリストとして活躍した。2013大河ドラマ「八重の桜」の主人公新島八重や夫襄とも親交があった。弟蘆花は本名健次郎。明治33年の「不如帰」「自然と人生」で文壇の注目を浴び、「黒潮」「寄生木」などの長編小説、「思出の記」などを発表した。2人の生家は、総庄屋をつとめた家柄だけに白壁土蔵づくりの構えは風格がある。また、水俣市には、蘇峰夫妻の墓、蘇峰・蘆花ゆかりの遺品や資料などを展示した水俣市立蘇峰記念館もある。 【熊本県指定史跡】
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鑑内橋
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
この橋は、文政13年(1830年)頃、種山の名石工、岩永三五郎が造ったと言われており、現在鏡町に残る唯一のめがね橋。橋の長さは、7.2m・幅2.8m・径間5.5m。鏡(鑑)町と内田村を結ぶところから鑑内鏡と呼ばれ、江戸時代には八代〜松橋間を結ぶ下往還の要所であった。 明治10年の西南の役に日奈久南の洲口に上陸して北上する官軍の斥候と、熊本城攻めの薩軍から派遣され南下する斥候とが初めて出会った所で、その情報によって薩軍は氷川の線に陣地を構え、両軍が戦いを交えたというエピソードが残っている。 石橋の老朽化に伴い、平成6年(1994年)3月に修復された。
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眼鏡橋の里
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
全国各地に石造りアーチのめがね橋を築造した石工集団「種山石工の里」として知られています。現在も村内には21の石橋が現存しています。
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左座家
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
太宰府に左遷された菅原道真の子左座太郎が、住み、代々仁田尾を支配した。 約200年前に建てられた藁葺き屋根の母屋は見学ができ、玄関や欄間に彫られた家紋や 鎧、団炉裏端などが当時を偲ばせます。
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緒方家
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
壇の浦の戦で敗れた左中将平清経の子孫緒方紀四郎盛行が住み、代々この地を支配した。二階には隠し部屋等がある。管理人が屋敷の説明をしてくれる。
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赤松館
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
国登録有形文化財。江戸時代後期より代々庄屋を務めた大地主の邸宅で、主屋は座敷部を中心に居間、台所、釜屋等の各部からなり、座敷部、居間部の各室は、銘木を用いた巧緻な意匠になり、高い水準の大工技術を示しています。料理研究家故江上トミの生家。
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重盤岩眼鏡橋
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 歴史的建造物
町の中央を流れる津奈木川に架けられたこの橋は、奇岩 重盤岩にちなんでこの名前がつけられた。橋の長さは18m、中4.5m、径間17m、拱矢5.7m、欄干がついている。高さの割に経間が長いので実に優美に見える。芦北では最大の橋である。
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