佐世保市・ハウステンボスの史跡 スポット 15選
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楠本端山旧宅と楠本家墓地土墳群
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
端山は弟碩水と共に「西海の大儒」と、呼ばれた儒学者で、幕末から明治にかけての激動期に活躍した人です。維新の英傑、坂本竜馬、西郷隆盛、木戸孝充をはじめ多くの志士に感化を与えています。その旧宅は、父の忠次右衛們が天保3年(1832年)に建てたもので、門を入ると3箇所に玄関があり、右から来客用、家族用、使用人用と分かれています。さらに儒教の祠堂も備えるなどした貴重な建物です。 また、端山一家の墓は儒教形式のもので県内唯一の現存例です。 *工事に伴い、見学希望者の安全確保のため、敷地内への立ち入り制限をしております。作業終了日時について現段階では未定(2019.9.17現在)
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岩下洞穴遺跡
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
佐世保市を流れる相浦川中流域の石盛岳南斜面の砂岩露頭に形成された開口17m、奥行最大で7m、高さ約5mの規模の岩陰です。発掘調査では、縄文早期〜前期の生活面および旧石器時代、縄文中期〜後期、弥生時代、古墳時代の遺物が出土しました。縄文早期から頭や胸位に石を乗せた埋葬人骨や磨製石器を副葬した埋葬人骨など20体を超える埋葬人骨が確認されました。また、縄文前期には、狩猟具としての石鏃や石槍が数多く出土し、食料としての魚骨、鳥骨、哺乳類や貝類が出土しています。
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大智庵城址
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
延徳2年(1490年)に宗家松浦氏が築き、武辺城から移ったとされている。明応7年(1498年)に平戸松浦氏の攻撃で落城し、宗家松浦氏15代政はここで戦死を遂げた。
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泉福寺洞穴遺跡
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
郊外の住宅地の近くにあり、この洞窟から1973年に発掘された土器は世界の歴史をもぬり変える大発見でした。 その土器は、「豆粒文(とうりゅうもん)土器」と言われ、今から1万2千年以上も前の新石器時代のものであることが明らかになり、それまでの最古の土器の位置づけを変えることになりました。同じく出土された、旧石器時代末から縄文時代草創期の石器や土器と共に、国の重要文化財に指定されています。(平成8年6月27日指定)
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井手平城址
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
大正14年(1586)に大村、有馬、有田、波多の連合軍から攻められ落城した。
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下本山岩陰遺跡
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
下本山岩陰は佐世保市を流れる相浦川下流域の沖積低地に南側に面した砂岩露頭に形成させた岩陰です。標高約15mと低い位置にあり、当時の海岸からそれほど遠くない場所にあります。縄文前期には猪、鹿等の哺乳類、鳥類、大量の貝殻や魚の骨、川蟹の殻さらには釣針等の漁労具も出土しています。弥生時代には、箱式石棺に二体の埋葬人骨が検出されています。
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葭之本窯跡
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
慶長年間(1596〜1615)頃に日用雑器の陶器が生産された三川内最古級の登り窯で、平戸松浦藩の窯業の草創期を物語る重要な窯跡である。3基の窯跡が残る窯跡群であり、磁器製造以前の1号窯→2号窯→3号窯の陶器製造技術の移行がわかる貴重な遺跡である。
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弦掛観音
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
1776年(安永2年)の開山といわれる。高さ10数mの巨大石が立ち並んでいる。本尊は11面観音菩薩。真言宗智山派西福寺、通称弦掛観音「つるかけさん」の愛称で親しまれている観音様は、巨岩に囲まれて、ひっそりとしたたたずまいで訪れる人をやさしく迎えてくれます。 この地名は、天正9(1581)年の平戸藩と島原藩の戦いのとき、この場で弓に弦を掛け戦ったことに由来しているといわれています。 長崎県新観光百選地。
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無窮洞(旧宮村国民学校地下教室)
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
『無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。 当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は昭和18年8月〜終戦の昭和20年8月15日まで続けられたそうです。 天井は小学生の手によるものとは思えないほど、美しいアーチを描き、平和の祈りが聞こえてきそうな趣きの『無窮洞』。市街地からは少し離れますが、ぜひお立ち寄りになって中をご見学ください。
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浦頭引揚記念平和公園・資料館
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
太平洋戦争の終結に伴い、海外におられた邦人約629万人が日本に引き揚げました。このうち佐世保港のこの浦頭の地に、昭和20年10月14日米軍の上陸用舟艇(LST)で、韓国の済州島から旧陸軍軍人9,997人が揚陸したのをはじめ、以後昭和25年4月までに、主に中国大陸や南方諸島から引揚船1,216隻により、一般邦人・軍人・軍属合わせて1,396,468人もの方々が、引揚げの第一歩を印されました。
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大野台遺跡(大野台支石墓群)
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
江迎湾に注ぐ鹿町川南岸、標高70〜80mの玄武岩台地上にあり、その規模は原山支石墓群(国指定・南島原市)とともに国内最大級を誇る。 支石墓は大陸文化の影響を受けて、縄文時代晩期から弥生時代中期にかけて作られた墳墓で西北九州に多く分布する。県内では本支石墓群の他に15か所が確認されており、群をなす特徴をもっている。 本支石墓群が作られた時期は、出土資料から縄文時代晩期から弥生時代前期に比定されており、支石墓群の推移を考えるうえで重要な遺跡である。かつては80数基存在していたと推定されるが、現在は2群46基が指定されている。数多くの出土資料の中で、広形銅矛の袋部(着柄部)は特に貴重なものである。
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福井洞窟
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
国見山系から西に流れる福井川の浸食により形成された砂岩洞窟である。標高110mの位置にあり、開口16.4m奥行5.5mの規模がある。 5.5mの堆積層に旧石器時代から縄文時代への過渡期の文化層が認められた。第II層、第III層から出土した黒曜石製の細石刃と細石刃核(石刃を割りとるための母材)は、旧石器時代末葉の石器で、土器を伴わないとされていたが、第II層から爪形文土器、第III層から隆起線文土器、第IV層では細石刃(核)のみが発見されたことから、旧石器時代から縄文時代への過渡期文化の存在が認められたのである。さらに、第VIII層まで細石刃の文化層であることが判明し、旧石器時代から土器文化(縄文文化)への発達段階が明瞭になった。 縄文文化の成立及び発展過程を解明する上で極めて重要なものであり、平成23年度からの発掘調査では、火を炊いた炉跡が見つかるなど旧石器時代における洞窟遺跡の利用について明らかにされている。
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直谷城址
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
直谷城築城については、様々な説がありますが、13世紀半ばに志佐氏初代の貞が築城したのがもっとも有力な情報です。壇ノ浦の戦いで入水自殺したはずの安徳天皇が実はここを仮の住まいとしたという伝説もあるようです。城跡は福井川の右岸にそびえる高さ50mの懸崖上にあり、頂部の主郭跡には天守台や建物跡などの当時を偲ばせる遺構が残され、中世山城の特色をよく示しています。また、城の城主と歴史が明らかで、保存状態も良いため、大変重要な文化財となっています。
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橋川内(こうもり岩)洞窟
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
佐々川中流域、吉井町橋川内の北面する丘陵中にあり、間口13m、奥行8m、庇高1.5mの規模をもつ。昭和45年(1970)に発掘調査が行われており、縄文早期から弥生中期までの遺物が出土している。遺物は縄文早期、前期が主体であり、佐々川中流域における当該時期の拠点的な遺跡と考えられている。
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眼鏡岩公園
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
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