九十九里・銚子の史跡 スポット 20選
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阿玉台貝塚
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
明治27年に発見されて以来、数回にわたる発掘調査によって縄文時代中期前半の標式土器である阿玉台式土器をはじめ、多くの土器、石器、貝輪等が出土しています。関東地方における縄文土器編年の標式遺跡であり、学術上価値が高い。地元の「阿玉台貝塚保存会」が、木敷道や標識、貝層見学室等を設置、又散策道沿いに梅の木や水仙が植えてあり、春には見事な花を咲かせます。梅は約30種類600本が植えられ、1月中旬から2月下旬まで花を楽しむことができます。
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正文堂書店
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
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能満寺古墳
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
熊野神社飛地の標高60mの丘陵にあり,銅鏃3コをはじめ,銅鐘,鉄製鉈,ガラス玉などを出土。
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史跡長柄横穴群
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
史跡長柄横穴群は、古墳時代から平安時代にかけて、崖や山腹などを側面から掘って造った墓室のことを言います。千葉県内には3,135基あると言われていますが、長柄町では25群324基が確認されています。上総には「高壇式」と呼ばれる特殊な形態が多く「長柄横穴群」、はその代表とされています。また、源六谷横穴群は特に人と馬、水鳥、蛇などの壁画を持つものとしても有名です。副葬品が発見されていない為、築造年式ははっきりしていませんが、7世紀末から8世紀初めと推定されています。国指定の文化財になっています。
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九十九里浜地引網発祥の地
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
弘治元年(1555年)紀州の西宮久助という漁師が強風に流されて白子の海岸に漂着。その後、白子に滞在して故郷の紀州の漁法を九十九里一帯に広めたといわれています
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前田普羅の句碑
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
前田普羅は明治18年今の白子町に生まれ、早大中退後、横浜裁判所に勤めながら俳句を作りはじめ、後に高浜虚子門下四天王と呼ばれました。 国民宿舎白子荘前には「向日葵の月に遊ぶや漁師たち」と詠まれた句碑があります。
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一宮城址
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
もとは天然の地形を利用した中世の山城で,江戸時代には近くに陣屋も作られたが,明治維新によって取り壊された。1984年に城之内遺跡の一部が発掘されている。
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中台古墳群
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
中台古墳群は,前方後円墳2基,円墳18基を数え,そのうち前方後円墳の殿塚・姫塚の発掘調査は昭和31年春に実施され,姫塚古墳から古代の葬送を模した埴輪列が出土して考古学会の注目を集め,両古墳はその後国の史跡に指定されました。
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魁の碑
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
成東駅構内にある「魁の碑」は、鉄道敷設に生涯を捧げた安井理民の顕影碑です。 鉄道誘致運動に尽力し、その開通による功績をたたえて、昭和46年2月にこの地に建てられました。
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良文貝塚
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
昭和5年に国の史跡に指定された利根川下流域で最大級の縄文時代後期の貝塚。ここから出土した香炉形顔面付土器は、千葉県の指定文化財となっています。
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木曽義昌公の供養塔
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
木曽家終焉の地。木曽義昌公は、天保9年(1540年)木曽義康の長男として生まれた。朝日将軍木曽義仲の後裔となる戦国武将である。木曽家の主として武田信玄、勝頼、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉などの間で戦国時代を生き抜いた。天正18年(1590年)に下総蘆戸城(旭市網戸)へ一万石で移封された。文禄4年(1595年)に病のためその地で生涯を終えた。遺体は城の北西方の椿湖に水葬されたといわれている。木曽義昌公の網戸での徳政に満ちた街づくりは400年以上の歳月を経た現在でも地域住民に広く慕われている。
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西之城貝塚
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
全国でも古い部類葯000年前の縄文式貝塚,住居跡が残る。
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蕪木5号墳(蕪木古墳群)
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
蕪木古墳群のうち、特に副葬品で注目されているのが蕪木5号墳です。前方部は南西に、長軸46メートル、前方幅23メートル、後円部径22メートル、高さ5メートルで、数多くの副葬品が出土しています。中でも、金銅製巾着型容器、金銅製装刀子の出土は珍しく、古墳時代の貴重な出土品となっています。
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大堤権現塚古墳
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
大堤権現塚古墳は山武地域で最大級の前方後円墳で、大堤古墳群(9基)の主墳とみられています。古墳の全長は115m、周溝は3重に巡り、総全長は174mを測ります。 墳丘の前方部には箱根神社が祭られており、権現様と呼ばれるところから権現塚古墳の名で親しまれています。数多くの出土品がありましたが、大型の古墳であるが埴輪をもたず、前方部方向が南方向に位置するなど特異な古墳とされています。
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山室姫塚古墳
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
山室姫塚古墳は円墳としては千葉県最大級の古墳で、周辺の大塚古墳群の中でも群を抜いた規模です。大きさは総全長約85m、墳丘径64〜66m、墳丘高9.1mを測ります。2段築成であり、墳丘の周りには周堤が巡り、幅3から5mで平坦面から一段高くなっています。 この古墳は比較的保存状況は良好で、また埴輪や土器片などは確認されていません。
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朝日ノ岡古墳
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
蕪木古墳群の主墳とみられる朝日ノ岡古墳は丘陵上に存在する前方後円墳で、全国的に珍しいものとされています。蕪木の八幡神社の境内にあり、かつては周囲に二重の周溝を巡らした完全な前方後円墳でした。多くの貴重な出土品によって、この地域を支配していた豪族のものとされています。
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松尾城跡
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
松尾城は山稜の線を巧みに利用して築いた平山城で、明治維新後に築かれた希少な城です。 明治2年に遠江国掛川藩主・太田資美はこの地に所替えになり、ここに築城しました。 別名太田城ともいわれ、太田資美は太田道灌の子孫です
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山室城跡
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
県道116号と112号が交差する地点の西側に見える台地の南端にあり、自然の地形を利用したこの地方の典型的な丘陵式城郭です。 山室城は上総山室飛騨守常隆の築城といわれている。
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津辺城跡
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
津辺城はJR成東駅の北800mほどの所にあり、高さ25mほどの切り立った台地上にあり、戦国時代末に築城されたものという説もあるが築城者は不明である。
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樋橋
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
伊能忠敬旧宅前にある、小野川にかかる橋。もとは江戸時代の前期につくられた佐原村用水を、小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋。300年近く使われ、戦前にコンクリートの橋になってからも橋の下側につけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てることから、「じゃあじゃあ橋」の通称で親しまれており、この落水は「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
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