浜離宮恩賜庭園の見どころや歴史、最新の営業情報まで徹底取材!【2021年版】

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見事に復元された3つの御茶屋

 

江戸時代の将軍たちが鷹狩りの休憩所としていたのが「御茶屋」。休憩だけでなく、食事をしたり、招いた客と調度品を鑑賞したりする場としても重要だったそうです。

11代将軍の家斉の時代に「鷹の御茶屋」「松の御茶屋」「燕の御茶屋」が建てられ、浜御殿は庭園としての最盛期を迎えます。どの御茶屋も戦災や地震で焼失してしまいましたが、現在の浜離宮恩賜庭園には当時の姿が復元されています。

2018年に復元された「鷹の御茶屋」(写真上)は、鷹狩りの装備のまま出入りできるよう造られた御茶屋。農家風の藁葺き屋根が特徴で、将軍が休憩や暖をとる部屋が設けられています。建物の裏手には狩りに使う鷹を休ませるための鷹部屋(たかべや)もあります。

こけら葺きの屋根を持つ「松の御茶屋」は、2010年に復元。庭を見せるために造られたもので、潮入の池にある中島の御茶屋と、そこにかかるお伝い橋を見渡せる場所にあります。

南宋の画家・蓮亀の絵を飾り、将軍たちが賓客を料理や菓子でもてなしたといわれる「燕の御茶屋」。どの御茶屋の復元の際も多くの歴史書を基に考証を行い、寸法や素材、工法を再現。現代の技術と融合させることで安全性も高められているのだそうです。

将軍たちが鷹狩りに訪れた「鴨場」と「鴨塚」

浜離宮には、新銭座鴨場と庚申堂鴨場という2つの鴨場があります。鴨場とは、おびき寄せた水鳥を鷹や網で捕るための場所で、古くから大名たちの別荘などに設けられていました。

大覗きと呼ばれる板の塀には穴が開けられ、鳥に気づかれないように池の様子を観察できるようになっています。どちらの鴨場も18世紀に築造された大変古いものです。

鴨場の近くには鴨塚の姿も。狩猟された鴨の霊を慰めるため、宮内省の鷹匠・戸辺輿四郎氏の発案により1935年11月5日に建てられたものです。
 

外国人馬術師も活躍した「馬場跡」

浜離宮には馬術の稽古をするための馬場が2ヶ所ありました。1つは上の写真の内馬場で、もう1つが延遼館跡の東側園路にあたる表馬場です。

西洋の馬を輸入した徳川家8代将軍の吉宗は、ドイツ生まれの馬術師を招き、浜御殿と呼ばれたここ浜離宮に住まわせ、家臣に馬術の手ほどきをさせていたそうです。

徳川家ゆかりの舟着き場「将軍お上がり場」

東京湾に面した「将軍お上がり場」は、歴代将軍が浜御殿を訪れる際に使用した舟が発着する所。徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜公が、鳥羽伏見の戦いで敗れ大阪から帰還した際も、ここで江戸に上陸したのだそう。歴史ファンなら見逃せないスポットです。
 

都会の名山100にも数えられる「浜離宮三山」

浜離宮には、富士見山、新樋の口山、御亭山の3つの山があります。

人工の築山で標高はわずか数メートルですが、頂上に立つと、遊歩道とは一味違った浜離宮の景色を楽しめます。

海に近い新樋の口山の頂上からは、お台場のレインボーブリッジを眺めることができました。

せっかくなので御亭山も登ったところ、なかなかの満足感。標高差50m以下の山は“超低山”と呼ばれ、いまプチブームなのだとか。愛好家からは“都会の名山100”に数えられる浜離宮の3つの山からの眺めをぜひ体験しては?
 

浜離宮恩賜庭園のパワースポット「旧稲生神社」

浜離宮恩賜庭園の敷地内に鎮座する「旧稲生(いなぶ)神社」。江戸時代の創建であることがわかっていますが、現在の社殿は、1894年に起きた地震で倒壊した旧社殿に代わって再建されたもの。1923年の関東大震災でも倒壊を免れた社殿はパワースポットといえそうです。

イベント利用も可能な「芳梅亭(ほうばいてい)」

都立文化財庭園の集会施設で、離宮時代の官舎を修復した貴重な建物です。予約すれば園内散策時の休憩所をはじめ、句会や勉強会、お茶会などで利用することができます。

予約は利用日の6ヶ月前から受付けています。詳しくはサービスセンター窓口受付でご確認ください。

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