長光寺城跡

滋賀県 草津・守山・近江八幡
  • 史跡

基本情報

名称

長光寺城跡


チョウコウジジョウセキ

住所

〒523-0013 滋賀県近江八幡市長光寺町


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アクセス方法 ・近江八幡駅から列車で5分 ・近江鉄道武佐駅から徒歩で5分
連絡先 問合せ先 電話番号:0748-36-5573

長光寺城のあった長光寺山は、別名、瓶割山と呼ばれている。この由来は、織田信長の命により配されていた柴田勝家が、近江の守護「佐々木」の軍勢に包囲され籠城策を取った際の逸話によるもの。 籠城が長引くにつれ、貯蔵している水も残りわずかとなり、このままでは落城も時間の問題と思われたが、柴田勝家は、座して死すよりも将兵の士気を鼓舞し勝利を収めるため、残りの水を将兵に飲ませた後その水瓶を自ら割って必勝を期し、勝利を得たという武勇伝から「瓶割城」とも言われるようになったと伝えられている。 長光寺城は、応仁の乱に際して佐々木氏も東軍と西軍に分かれ、長光寺城と観音寺城を互いの居城として戦いを繰り広げたところである。佐々木氏は最終的には織田信長により攻略され、安土城の完成とともにその役割を負え自然廃城になった。 又、この山より産出される良質の花崗岩の石材により石工の名匠が誕生したことでも知られ、大阪城、聚楽第、方広寺大仏殿、三条大橋、江戸城、名古屋城、彦根城などを手懸けたとされる「馬渕石工」「岩倉石工」が桃山時代から江戸時代初期に全国で活躍した。