楫取素彦旧宅地

山口県 萩・長門
  • 観光名所

基本情報

名称

楫取素彦旧宅地


カトリモトヒコキュウタクチ

住所

〒758-0011 山口県萩市椿東354-1中ノ倉


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アクセス方法 ・絵堂ICから車で25分 中国自動車道美祢東JCT小郡萩小郡道路経由で絵堂ICへ ・JR東萩駅からタクシーで10分 ・JR東萩駅からバスで 萩循環まぁーるバス乗車 ・中ノ倉下車から徒歩で10分
連絡先 問合せ先 電話番号:0838-25-3139
ホームページ https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100095

楫取素彦は文政12年(1829)、萩藩医松島瑞璠の次男として萩に生まれ、初め伊之助と称しました。兄に洋学者の松島剛蔵がおり、12歳の時に萩藩の儒者 小田村吉平の養子となりました。 藩校明倫館で教授し、のち吉田松陰の妹・寿(ひさ)と結婚して、松下村塾でも指導に当たります。 四境戦争(幕長戦争)では幕府側との交渉にあたり、慶応3年(1867)藩命により楫取素彦と改名しました。 維新後は地方官を経て、明治9年(1876)現在の県知事にあたる初代群馬県令を10年間つとめ、特に蚕糸業の振興や教育の充実に尽力しました。のちに元老院議員、宮中顧問官、貴族院議員等を歴任しました。 明治14年(1881)妻 寿を亡くし、同16年に松陰のもう一人の妹 文(美和子)と再婚します。大正元年(1912)没、享年84。 この地は、時期は明らかではありませんが、素彦が住まいした旧宅跡地といわれています。