金石城跡
長崎県
壱岐・対馬
- 史跡
基本情報
名称 |
金石城跡 カネイシジョウアト |
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住所 |
〒817-8510 長崎県対馬市厳原町今屋敷 地図を見る |
アクセス方法 | ・厳原港から徒歩で15分 ・対馬空港から車で20分 |
連絡先 | 問合せ先 電話番号:0920-53-6111 |
宗氏が館を桟原に移すまで,この地を本城とした。享禄元年(1528),それまでの池ノ館が兵火で炎上したので,盛賢が築いたものだ。21代の義真が寛文9年に櫓を築いてから,金石城と呼ぶようになった。金石川に沿った城壁と大手門付近の石垣に,対馬流の石垣技術が偲ばれ,現在櫓門が再建されている。国の史跡。◎宗義智(1568-1615)江戸初期の対馬国の領主。義調の養子。対馬守。秀吉の頃より朝鮮との外交にあたり,江戸時代には,幕府と朝鮮との条約締結に尽力した。◎雨森芳洲(1668-1755)対馬藩の儒者。近江(滋賀県)伊香郡生まれ。著者『治要管見』で朝鮮修交の重要性と人材養成を説き,王号問題で同門の新井白石を論難した。著述は40書。
詳細情報
時代 | 豊臣時代・桃山時代 |
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