馬頭・茂木・益子・真岡の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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那須神田城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
那須与一が生まれたと伝えられ,土塁はほぼ原形を留めている。国史跡。 【料金】 無料
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吉田富士山古墳
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
高さ5mの方墳。「那須八幡塚古墳群」のひとつ。 【料金】 無料
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烏山城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
応永25年(1418)那須資氏の二男沢村資重の築城。以来、那須氏八氏が居城した。那須氏八代資晴の時、小田原参戦に遅れたため、秀吉の怒りを買って没落。その後、織田信長の二男信雄が2万石で配流、常心と号した。成田氏長、松下重綱、堀親良、板倉重矩らが次々に交代し、一時那須氏も返り咲いている。藩政期は譜代小大名の封地であった。◎織田信雄(1558~1630)織田信長の次男。1590年小田原の役の後、旧尾張・伊勢を望んで豊臣秀吉の怒りにふれ、下野国烏山に配流される。武将というよりも、茶の湯・和歌・舞・音楽などに巧みな風流人として知られる。 時代 1418
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小志鳥横穴墓
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
江川の支流岩川東岸にある横穴式石室。 時代 不詳
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森田城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
荒川沿の小高い丘に築かれた城。城下の宿場町の面影が残る。
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般若寺跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
種姫様と般若寺の供養塔 8代将軍吉宗には、家重・宗武・宗尹(むねのぶ)の3人の男子があった。のちに家重は九代将軍になり、宗武は徳川左衛門督宗武と称し、徳川御三卿(さんきょう)の一つ田安家を名乗り、宗尹はやはり三卿の一つ一橋家を名乗った。 種姫は、徳川左衛門督宗武の娘として明和2年(1765年)、田安家の館で生まれ安永4年(1775年)12月に10代将軍家治の養女となった。天明2年(1782年)に10代目紀伊藩主徳川治宝(はるとみ)と婚約が成立し、同3年に結納を交わした。 ところが養父である将軍家治が天明6年(1786年)7月病床に伏し、1カ月ほどのちなくなってしまった。 家治が病床にあり、自分の命が幾ばくもないことを知り、種姫を呼んで遺言で申すことには、「野州般若寺の僧恵乗に頼んで先祖の供養をしてもらっている。私の没後は、おまえが私に代わって国家安寧、子孫繁栄のため、また有徳院殿(祖父吉宗)、惇信院(父家重)と親族の菩提をともらうため、寺院を建立し宝塔を建立してもらいたい」とのこと。 このため種姫は自ら紺紙に金泥で宝きょう尊勝無量寿等之陀羅尼を数巻書写し、官女らの写経なども合わせ、将軍の爪髪などすべて塔内に奉納して菩提を祈った。 般若寺は、明治時代に焼失し、現在跡地には供養塔と般若寺の歴代僧の墓碑が残っている。供養塔は昭和55年1月10日、栃木県有形文化財に指定されている。
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姥が池(姥が池ロマン公園)
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
「祖母井」(うばがい)の地名発祥の由来ともなったといわれる泉。天然記念物の杉がある。姥が池ロマン公園として整備されています。
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千本城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
那須与一の兄が築城した山城。別名を教ヶ丘城とも言う。城部は標高240mの山頂で東西90m南北370m現在は一部の遺構が残るのみ、1585年謀殺の悲話を残し、落城となった。 時代 1195
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桔梗城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
八田知基が築城し約400年間茂木氏の居城となっていた。城跡には、本丸・二の丸・三の丸・大手門・千人溜・鏡が池等の跡があり、現在城部は城山公園となっており、眼下に城下町を一望できる。 時代 1192年
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入定塚古墳
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
円通寺一切経塔の南西約50mに位置し、小貝川の東岸にあたり、八溝山地の一部をなす鶏足山塊の西側に立地します。 小貝川の沖積地との比高差は約40mあり、樹木がなければ見晴らしのよい環境にあります。 昭和33年(1958)に県の史跡に指定された際には前方後円墳と考えられていましたが、その後の「栃木県史」には前方後方墳との記載があります。 周溝や葺石、埴輪などは認められれていません。 後方部と前方部の高さが同じであることや墳丘全体が平たく低く構えているところから、古墳時代後期の築造と思われますが、中期という説もあります。 文化財 都道府県指定史跡 指定年: 1958 時代 古墳
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風戸塚古墳
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
頂頭部は平坦な截頭円墳です。 比較的大型の円墳ですが、周溝もはっきりせずまた墳端部は削平され墳頂部の変形も著しいです。 また葺石等は不明瞭で埴輪等の細片も見当たりません。 主体部が未調査のため築造年代は不明ですが、古墳時代後期のものと思われます。 文化財 都道府県指定史跡 指定年: 1954 時代 古墳
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上三川城址公園
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
上三川城は建長元年(1249)から慶長2年(1597)までの350年にわたり栄えた中世の平城。城主は横田氏、今泉氏の二期に区分され、現在はその城跡を利用した美しい公園となっています。 東西90m、南北100mほどの方型の土塁に沿って遊歩道も整備され、町民の憩いの場となっています。 また、花の名所でもあり、桜の季節には公園を囲むように桜が咲き、ツツジの季節には朱色と新緑が鮮やかなコントラストを描きます。 時代 1249
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愛宕塚古墳石室
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
この石室は、むかしこの地にあった全長約50~60mの愛宕塚古墳の横穴式石室です。 忠霊塔を建てる際、掘り出され、30mほど北に移転復元されました。石はすべて凝灰岩の偏平な切り石を組合せて築いてあり、特に入口は板石をくり抜いてあります。 時代 古墳後期
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唐の御所横穴
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
石室と玄室があり,彫刻もみられる古墳時代後期の横穴墓。
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稲積城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
樹齢100年の杉の大木が100本近く生い茂っている。今は稲積神社になっている。
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武茂城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
土塁の名残が見られる。戦国時代の山城の様相が残る。今は静神社の境内で見晴がよい。県史跡。
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那須官衙遺跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
那須国,後に古代那須郡の役所跡。礎石を用いた建物跡が散在する。国史跡。
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那須八幡塚古墳
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
前方後方墳。珍しい「き鳳鏡」などが出土した。国史跡であり、「那須小川古墳群」後方のひとつ。
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駒形大塚古墳
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
中型の前方後方墳、関東で最も古い古墳の1つ。春には桜の花の香りを間近で感じることができます。国史跡であり、「那須小川古墳群」のひとつ。
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中村城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
この城跡は中村遍照寺の全境域である。東西約191m,南北182mの長方形の内濠跡が残されている。濠の深さは約6m,幅9mである。
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