えびの・都城の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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松尾城址(鶴丸城)
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
須木城は麓の「肥田木城」、中間に位置する「荒神城」、山頂に本丸に該当する「松尾城」があり、この3城を総称して須木城と言う。「松尾城」の別名を「鶴丸城」。約4kmの断崖に囲まれた巨大な山城。現在は城山公園(「すきむらんど)の傍)。 時代 1500年代
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野尻村古墳
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
大萩・切畑・九ッ塚の三古墳を総していう。西都原古墳群とは異った文化を持つ。 時代 古墳
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皇子原
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
神武天皇誕生の地と伝えられ,産場石,皇子滝などがある。 時代 古代
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将軍山
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
南北朝時代、南朝方の肝付兼重は月山日和城に錦旗を奉じ威勢をふるっていたが、足利尊氏は畠山直顕を日向地頭職(日向大将軍)に任じ、兼重の攻略を命じた。直顕はこの山に本陣を置き、延元4年、大軍をもって日和城を攻略した。将軍山の名は、日向大将軍の陣地がこの山にあったことに由来する。昭和10年の陸軍大演習の際、春日野外統監部となった。 時代 南北朝
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牧ノ原古墳群
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
前方後円墳3基、円墳10基からなる。他に箱式石棺6基、地下式横穴墓12基が出土している。 文化財 都道府県指定史跡 時代 古墳
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薩摩街道跡
宮崎県 えびの・都城
- 旧街道
日向から鹿児島へ向かう道の一つで、佐土原城下から本庄(国富町)、高岡、浦之名、去川の関所、国見峠、有水、桜木を経て都城に至る道。明応年間(1492~1501)に三俣院を手に入れた伊東氏が、その本拠地である都於郡(西都市)や領内からの物資を運搬するために開通させたのが始まりという。近世に入り関外四ヶ郷を統括する高岡郷地頭仮屋への通行を円滑にするために街道として整備された。
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加久藤城跡
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
真幸院領主であった北原氏が応永年間に築城。国道268号と221号が交差点そばの丘の上にある。永禄7年(1564)飯野城主となった島津義弘の入城により改築。加久藤城と改名され、天正18年まで義弘夫人の居城となった。島津義弘の長男(鶴寿丸)は永禄12年加久藤城に生まれたが、病の為わずか8歳で亡くなり、城内に葬られた。加久藤城跡に向かう途中に立つ墓石は明治元年に神道式に改築されたものである。
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島内古墳
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
古墳時代後期(5~6世紀)の古墳の一種。墳丘、埴輪などがない九州南部の特徴的なつくりの墓で、鉄製の鎧や冑・剣・刀・矢じりなどが完全な状態で大量に出土している著名な墳墓群。地名の島内を冠して「島内式横穴墓」とも言われている。2012年9月に出土品1029点が国の重要文化財に指定された。
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狗留孫神社遺跡
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
建久2年(1191年)栄西禅師建立の禅寺の跡。日本で2番目に古い。 文化財 市区町村指定史跡 時代 鎌倉時代
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木崎原古戦場跡
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
元亀3年(1572)南九州の覇権をかけて伊藤義祐と島津義弘が戦いを交えた場所。島津氏300の兵が伊東氏3,000の兵を破ったことから、「南九州の関ケ原の戦い」とも言われている。島津義弘は六地蔵塔を建て、敵味方の区別なく戦死者らの供養した。現在も5月4日六地蔵塔前にて、戦没者の追悼供養や武者行列などが行われている。 文化財 都道府県指定史跡 時代 戦国時代
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本田遺跡
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
古代住居跡。土器等が現在でも見られる。 【料金】 無料
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小林城跡
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
伊東48城の1つ。島津氏と激戦が行われた。石垣、土塁、大手門跡が一部残っている。 【料金】 無料
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伊東塚
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
元亀3年(1572年)木崎原の戦いで島津氏と戦って戦死した伊東祐安ら220人余りを葬ったところ。 公開 通年 時代 戦国時代末期
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景行天皇御腰掛石
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
景行天皇が熊襲征伐に行く途中、当地に立ち寄った際腰掛けたと伝えられている。 【料金】 無料
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今町一里塚
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
一里塚は、主な道路の両脇に一里(約4km)ごとに置かれた道標で、江戸時代に制度化。今町一里塚は高さ2.7m、底部径7.2mで、都城から鹿児島県曽於市末吉町・志布志市松山町を経て志布志を結ぶ国道269号線(旧今町街道)の末吉境近くの両側にある。九州にある一里塚の中で、唯一国指定史跡となっている。 文化財 国指定史跡 作成年代: 江戸時代 時代 1706
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島津寒天工場跡
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
江戸時代末期、厳しい財政難に悩まされていた鹿児島藩で財政改革にあたっていた家老調所広郷が、指宿の豪商浜崎太平次と諮りこの地に寒天製造工場を設置したと伝わる。寒天の材料となる天草は、甑島を中心に薩摩西海岸から運び、寒天となった製品は福山へ運び、さらに大坂、長崎へ運んで、中国やロシアへ密輸した。 文化財 市区町村指定史跡
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正応寺跡の石塔群
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
幕末から明治初頭にかけての廃仏毀釈により廃寺となった正応寺跡にあり、33基が確認できる。高さ3mを超す巨大な五輪塔をはじめ、天正年間の銘を持つ石塔が複数あり、大変貴重。 文化財 市区町村指定史跡
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塚原古墳群
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
塚原地区に現存する17基の古墳のうち、前方後円墳である1号墳は全長68m、後円部の高さ約5m、最大幅約32mで、都城盆地内最大の規模を誇る。 文化財 市区町村指定史跡
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薩摩迫館跡
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
島津家4代忠宗の6男資忠が、観応2年(1351)の合戦の功によって文和元年(1352)に足利将軍家から島津荘日向方北郷の地300町を賜り、この地を領有するようになった。その時資忠は北郷薩摩迫(現山田町)に移住して北郷氏を名乗るようになったという。また、北郷5代持久が寛正6年(1465)に高城からここに移ったとも伝わる。平成5年に行われた発掘調査により、中世の掘立柱建物跡の柱穴や溝状遺構が見つかり、14世紀後半から15世紀初めの中国(明)の青磁や、15世紀中頃の備前焼の擂鉢などが出土している。
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平田かくれ念仏洞
宮崎県 えびの・都城
- 史跡
入口は北西に向かって傾斜する台地斜面の裾部に設けられており、そこから左に急に曲がるトンネル状の通路を通って幅約2.2m、奥行き約3.3m、総延長約6m、高さ約2mのドーム状の部屋があった。平成2年(1990)の台風で陥没、土砂を取り除いて形状を実測した後、入り口部分を除いて埋め戻した。 文化財 市区町村指定史跡
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