長崎県の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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大将軍山古墳
長崎県 壱岐・対馬
- 史跡
対馬の代表的古式古墳。漢鏡,水晶玉などが出土。 時代 弥生
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特別史跡金田城跡
長崎県 壱岐・対馬
- 史跡
大陸からの侵略に備え,浅茅湾の南岸にそびえる城山に金田城を築き防衛の拠点とした。白村江の戦い(663年)で敗れた天智天皇が、国の守りの最前線として築かせた日本最古の山城跡の1つ。 文化財 国指定特別史跡 時代 天智2年(663)
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金石城跡
長崎県 壱岐・対馬
- 史跡
宗氏が館を桟原に移すまで,この地を本城とした。享禄元年(1528),それまでの池ノ館が兵火で炎上したので,盛賢が築いたものだ。21代の義真が寛文9年に櫓を築いてから,金石城と呼ぶようになった。金石川に沿った城壁と大手門付近の石垣に,対馬流の石垣技術が偲ばれ,現在櫓門が再建されている。国の史跡。◎宗義智(1568-1615)江戸初期の対馬国の領主。義調の養子。対馬守。秀吉の頃より朝鮮との外交にあたり,江戸時代には,幕府と朝鮮との条約締結に尽力した。◎雨森芳洲(1668-1755)対馬藩の儒者。近江(滋賀県)伊香郡生まれ。著者『治要管見』で朝鮮修交の重要性と人材養成を説き,王号問題で同門の新井白石を論難した。著述は40書。 時代 豊臣時代・桃山時代
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対馬藩お船江跡
長崎県 壱岐・対馬
- 史跡
御用船を繋留した船着場跡。 文化財 都道府県指定史跡 時代 1663
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鬼の窟古墳
長崎県 壱岐・対馬
- 史跡
壱岐では、横穴式石室古墳。長崎県内で初めて発見された装飾古墳である。紛糾の封土は取り除かれている石室だけが露出している長さ4.11mで複室構造の横穴式石室。入口にもっとも近い側壁に、シンプルな線彫による舟、人物、大型海棲動物が描かれており、捕鯨の様子を描いたものだと言われている。 時代 500
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元寇の戦跡(少弐公園)
長崎県 壱岐・対馬
- 史跡
園内には,少弐公園として整備され,展望絶景の地で小弐資時公を祀った神社がある。 時代 1281
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黒崎砲台跡
長崎県 壱岐・対馬
- 史跡
猿岩の展望所から1分。昭和3年8月から6年かけて完成。口径41cmのカノン砲二門の砲台で、砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1トン、最大射程距離35km、同じ規模の砲台が韓国プサンと対馬にあったが、ここは一発も実弾を発射することがなかった。巨大な地下要塞があるが、猿岩展望所の売店裏の山道を少し登ると、砲台の巨大な穴を地上からも見ることができる。 時代 1932
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殿様墓
長崎県 五島列島
- 史跡
青方氏の祖,藤原尋覚一族の墓といわれている。 時代 鎌倉期
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キリシタン洞窟
長崎県 五島列島
- 史跡
若松島南端、奥行52m・幅5mの洞窟。厳しい弾圧から逃れるためにキリシタン信徒が隠れ棲んでいたが、発見され処罰された遺跡。洞窟の入口にキリスト像がある。年に1回、11月にこの地でミサが捧げられる。 【料金】 無料
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福井洞窟
長崎県 佐世保・ハウステンボス
- 史跡
国見山系から西に流れる福井川の浸食により形成された砂岩洞窟である。標高110mの位置にあり、開口16.4m奥行5.5mの規模がある。 5.5mの堆積層に旧石器時代から縄文時代への過渡期の文化層が認められた。第II層、第III層から出土した黒曜石製の細石刃と細石刃核(石刃を割りとるための母材)は、旧石器時代末葉の石器で、土器を伴わないとされていたが、第II層から爪形文土器、第III層から隆起線文土器、第IV層では細石刃(核)のみが発見されたことから、旧石器時代から縄文時代への過渡期文化の存在が認められたのである。さらに、第VIII層まで細石刃の文化層であることが判明し、旧石器時代から土器文化(縄文文化)への発達段階が明瞭になった。 縄文文化の成立及び発展過程を解明する上で極めて重要なものであり、平成23年度からの発掘調査では、火を炊いた炉跡が見つかるなど旧石器時代における洞窟遺跡の利用について明らかにされている。
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狸山支石墓群
長崎県 平戸・松浦・田平
- 史跡
県指定文化財に指定されています。弥生時代の墓であり、西日本一帯に散在し、県下でも12群が確認されています。支石墓は、縄文末期から弥生初期にかけて、稲作と同じ頃に渡来したもので、稲作文化の原点を象徴する遺跡です。昭和32年の発掘調査時には、ヒスイ玉(鰹節形大珠)が発見され、現在も町内で保管されています。支石墓群は全体的に出土遺物が少ないので、このヒスイ玉は当時を伝える貴重な資料となっています。 文化財 都道府県指定史跡 時代 弥生
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膳所城跡
長崎県 五島列島
- 史跡
松浦定公の居城で現在新田神社があり入り口脇には顕彰碑と潮見様がある。
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有家セミナリヨ跡
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 史跡
神学校跡。銅版画印刷などが行なわれた。切支丹墓碑も数基出土している。 時代 16世紀末
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原山支石墓群
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 史跡
“原山ドルメン”ともいわれ,墓の遺跡といわれる。 時代 弥生
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日野江城跡
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 史跡
島原半島の東岸の南部に位置する。有馬氏の始祖である経澄が築いたもの。この地方のキリシタンの拠点ともなったところだ。元和元年(1615)に城は破却され,建物の一部は島原城へ運ばれた。平成7年度より国の支援をうけて,発掘調査を実施し,豊臣秀吉との密接なつながりをもの語る,金ぱく瓦や,国内では非常にめずらしい外来技法の石垣が発見された。 時代 1213
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原城跡
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 史跡
平成30年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録。 明応5年(1496)に有馬貴純が有明海に面した「原の島」という岬に日之江城の支城として築城。天正年間(1573-91)に城下はキリシタン布教と南蛮貿易で活況を呈したが,日之江城主有馬晴信が慶長17年(1612)に岡本大八事件に連座して配流・切腹となり,その子の直純も2年後に日向県城に転封となった。元和2年(1616)に原城に入った松倉重政は一国一城令に応じて廃城としたが,その跡地が島原・天草一揆の舞台となった。有馬城・日暮城ともいう。現在,本丸付近の石垣ぐらいが残る。本丸跡に十字跡と天草四郎像が立っている。◎有馬晴信(1567-1612)キリシタン大名。大友宗麟・大村純忠と共に少年使節をローマに派遣。長崎でのポルトガル船焼打ちののち,岡本大八事件に連坐し,甲斐に流罪となり切腹。 文化財 その他 国指定重要文化財 時代 江戸 築城年代1 1496年
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円通寺跡
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 史跡
約10ヘクタールの広大な寺域を有した。キリシタン興隆期に破壊された。 時代 1358
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大黒天像
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 史跡
自然石に線画でかかれた磨崖仏像温泉山仏教文化のなごり 時代 1100~1150年頃
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旧小浜鉄道跡
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 旧街道
道の両側から緑豊かな木々が生い茂る、通称緑のトンネルは、昭和2年から昭和13年までは小浜?愛野間を結ぶ鉄道として利用されていた温泉鉄道跡であり、道幅が狭いのが特徴。現在は県道201号線として利用され、その涼しげな雰囲気が人気を集めています。 【規模】延長8km
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黒谷遺跡
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 史跡
時代 繩文
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