指宿市の郷土芸能 スポット 13選
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唐人踊
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
江戸時代、薩摩藩は琉球に貢物を納めさせていた。その際、次の船が琉球から来るまで、人質として鹿児島に流された人々がいたと言われている。唐人踊は、これらの人々が唄い踊ったものと伝えられている。
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玉利奴踊
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
第10代島津家当主島津義久が肥前国島原城主との戦で勝利し、その祝いとして、揖宿神社に奉納されたのが始まりと伝えられている。
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ちょいのちょい
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
第17代島津藩主、島津義弘が朝鮮半島での戦いの後、帰国祝いとして始めたと伝えられている。
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庄五郎踊り
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
室町時代、池田湖の東にあった清見城の城主池田信濃守は、肝属氏に攻められたが、よく戦い城を守りぬき、そのお祝いの席で、庄五郎という芸達者な武士が踊ったのが始まりと言われている。
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棒踊
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
6尺棒と3尺棒、または、6尺ナギナタと3尺鎌を使う2つの踊り方がある。いづれも6人1組となって整然とした中にも激しい所作を繰り返す様は、武闘を想定した踊りに思えてならない。説は分れるが、もとはといえば一般民衆の農耕、特に稲作始めの祭りであり、その年の豊作を祈る年ごい祭りとみるのが素直な説だろう。
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宮坂田踊り
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
江戸時代、島津氏が参勤交代で江戸に行く途中、旅の疲れをいやすための唄い踊ったものにちなんで始められたと言われる。大振りの動作と上品な服装が相まった優雅な芸能。
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さまふり
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
島津氏が参勤交代を無事に終え、鹿児島へ帰る旅路の疲れをいやすため唄い踊ったものにちなんで始められたと言われています。
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猿の子踊
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
延享2年今和泉家島津忠郷が、日向青島に遊んだとき旅芸人の猿使いの芸をみて感心し、旅芸人を領内に住まわせて多くの猿を飼いならし芸を仕込んで、毎年春と秋の2回この猿芸を領民にみせて日頃の苦労をねぎらい、併せて働かないものは食にありつけないという教訓を後世に伝えたのが、現在の猿の子踊りであるといわれる。こどもが真赤な衣装と顔一面赤く塗って扮装した親猿、子猿が猿使いの命令に従って、入り乱れてさまざまな芸をするのであるが、この奇妙な動作がしかも整然と続けられていく様は実に見事なもので、見るものを十分楽しませてくれる。
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利永琉球傘踊り
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
村の祝典の際に踊られる。かつて薩摩藩が琉球を治めていた時、琉球の使節団が通過するとき踊っていたものを今に伝えている。
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神舞
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
由来、年代等ははっきりしないが、現在では3年に1回、一軒一軒の家をめぐりながら五穀豊穣、悪疫退散、家内安全を祈願するもので、とくに10月27日・28日に近い日曜日の夜は南方の神社の境内において、4時間も舞う13番の神舞を区民に披露する。この神舞にも鬼が出現するが、恐しい姿はしていてもたくましく強力な霊力で、人に害をおよぼす悪魔を追い払うのである。
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棒おどり
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
島津日新公が庶民の忠誠心を培うため踊らせたとも伝えられ、また、五穀豊穣を祈願して農民の間に伝承されてきたものである。
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猿の子踊り
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
猿に扮した子供たちが猿使いの詞に従い、面白おかしく色々な芸をする踊りで農耕儀礼として祭りの時踊られていた。
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古琴節
鹿児島県 南薩・指宿
- 郷土芸能
夫婦でお伊勢参りをし、子供の疱瘡平癒の祈願を歌にした踊り。
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