種子島の観光名所 スポット 9選
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阿久根千代女の墓
鹿児島県 種子島
- 観光名所
薩摩藩の家老であった比志島国隆は、島津家久の怒りをかって種子島の横山に流罪になった。妾であった千代女は国隆を追い渡島し再会したが、島津氏に知れ、国隆に切腹が命ぜられ、千代女は殉死を申し出た。国隆は千代女ののどを突き刺して自分も割腹した。横山の人々は2人の死に同情して、墓の上に櫨の木を植えて印となし、満徳寺境内に供養石を建て、命日の7/7(旧暦)に盆踊りを催してその霊を祭っている。
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西村天因誕生の地
鹿児島県 種子島
- 観光名所
西之表生れ。文筆家。大阪朝日新聞記者から学界へ。名文で鳴らす。島津家編輯所、宮内省御用掛。文博。『日本宋学史』。天囚の出生地(種子島開発総合センター内)には学校教育の指標として熊毛教育会が昭和16年に建立した立派な石碑がたっている。
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日典寺
鹿児島県 種子島
- 観光名所
室町期に京都から法華宗を伝えたため法難にあい、砂に埋められて殺された僧日典に由来の古寺。
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御坊墓
鹿児島県 種子島
- 観光名所
種子島家墓地。
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西南の役従軍戦没者招魂慰霊碑
鹿児島県 種子島
- 観光名所
明治10(1877)年に起こった“日本最後の内戦”『西南戦争』の際、種子島にもあった私学校種子島分校の茎永支校からも出征した志士がいました。勇猛果敢に戦った南種子の志士らを慰霊する碑が『たねがしま赤米館』の隣りに建っています。
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伊能忠敬種子島上陸の記念碑
鹿児島県 種子島
- 観光名所
江戸時代に日本全国をまわって作った実測値図『大日本沿海輿地全図』には種子島の地形も事細かく記されています。文化9(1812)年に屋久島から渡ってきた忠敬一行は島間に上陸。約2週間ほど測量・帰路の風待ちなどで滞在したといいます。南種子町と屋久島を結ぶ『フェリー太陽』の玄関口である島間港からすぐのところに上陸を記念した碑が建てられています。
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鉄砲伝来紀功碑
鹿児島県 種子島
- 観光名所
種子島最南端・門倉岬に建つこの碑は“鉄砲伝来の地”の象徴として地元の人々に親しまれ、多くの観光客が訪れます。天文12年8月25日(1543年9月23日)に中国の商船が付近に漂着。乗船していたポルトガル人が持っていた鉄砲を島の島主・種子島時堯に献上されたことから「我が国に初めて鉄砲が伝来された」とされています。門倉岬から300mほどのところには『ポルトガル人上陸の地碑』があり、それらを含めて町では“鉄砲伝来の地”としています。
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ドラメルタン号漂着の碑
鹿児島県 種子島
- 観光名所
1894年イギリス帆船ドラメルタンコ号が前之浜に座礁した際,乗組員は,真所集落の厚いもてないを4ヶ月間受けたという。記念碑はこうした下中の人々の功績をたたえ,建立されたものです。
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ポルトガル人上陸の地碑
鹿児島県 種子島
- 観光名所
種子島の最南端・門倉岬から300mほどの海岸線の場所にあります。天文12年8月25日(1543年9月23日)に中国の商船がこの付近に漂着。乗船していたポルトガル人が持っていた鉄砲を島の島主・種子島時堯に献上されたことから「我が国に初めて鉄砲が伝来された」とされています。諸説ありますが乗船していた者らはこの碑が建っている付近の崖をよじ登ったともいわれています。この碑や『鉄砲伝来紀功碑』などが建っている門倉岬を含めて町では“鉄砲伝来の地”としています。
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