南部の観光名所 スポット 20選
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平和の礎
沖縄県 南部
- 観光名所
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コマカ島
沖縄県 南部
- 観光名所
沖縄県にある無人島。周囲800mほどの小さな島で、島の半分以上を砂浜が覆っている。波打ち際でも様々な熱帯魚が泳いでいるのが見え、魚たちと一緒に泳ぐことができる。ダイビングやシュノーケリングなど、マリンスポーツを楽しむのにも最適。5月から秋頃にかけてはアジサシが飛んでくるので、産卵や子育てする姿を見れることもある。
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ニライカナイ橋
沖縄県 南部
- 観光名所
沖縄県南城市知念吉富にある橋ならびに絶景スポット。「ニライカナイ」とは遥か遠く東の海の彼方、もしくは海底・地底にあるといわれる理想郷を指すものとされる。橋は「ニライ橋」と「カナイ橋」が合わさったもので、県道86号線から国道331号線に降る途中で海に向かってU字を描く。「ニライカナイへの道」の看板を目印に進んだトンネルの上にある展望台から、橋の全容と知念岬、エメラルドの海を眼下に見ることができる。
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ひめゆりの塔
沖縄県 南部
- 観光名所
沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等学校の教師・生徒のための慰霊碑。2校の生徒は沖縄戦中「ひめゆり学徒隊」として沖縄陸軍病院に動員された。隣接する資料館では、生存者の証言映像手記、遺品などの展示を通して戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶことができる。
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垣花樋川
沖縄県 南部
- 観光名所
昭和60年に環境庁の名水百選に選ばれたカー(湧水)で、かつて村人がゆききした石畳の坂道やコンコンと湧き出るヒージャー、特に坂道の途中にある中休み(ナカユクイ)石からの眺めがすばらしい。
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米須海岸
沖縄県 南部
- 観光名所
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嘉手志川
沖縄県 南部
- 観光名所
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FMたまん
沖縄県 南部
- 観光名所
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沖縄陸軍病院南風原壕群20号
沖縄県 南部
- 観光名所
平成19年6月18にちより一般公開。 壕の中には埋められた医薬品類や発掘された人骨等当時の様子を知る手がかりが残されています。 ○見学方法 ・一度に入る人数は10名以内 ・全員が必ずヘルメットを着用 ・懐中電灯を使用(無料貸し出し) ・常駐ガイドが案内する。・見学時間は1グループ20分程度
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大城按司の墓
沖縄県 南部
- 観光名所
沖縄の墓は一般的に亀甲式、破風式であるが、そのいずれにも属さない特異な構造様式をもった墓。岩山をくりぬいて墓室とし、前面は切石積み、上部はドーム状の石積みになっている。
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バックナー中将戦死之跡
沖縄県 南部
- 観光名所
米第十軍指令官サイモン・B・バックナー中将は、昭和20年6月18日、戦闘指揮中、この地で死亡した。昭和27年、米軍の手により記念碑が設立されたが、昭和49年に米軍より、キャンプフォレスターに移設されたため、昭和50年6月に沖縄慰霊奉賛会により現在の碑が設立された。
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富盛の石彫大獅子
沖縄県 南部
- 観光名所
村落獅子として、沖縄県内で最大最古の『富盛の石彫大獅子』。 1689年に安置された。 村の守り神として置かれた獅子像の始まりといえる。 沖縄県指定有形民俗文化財。
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仲村渠樋川
沖縄県 南部
- 観光名所
地域の人々が使っていた用水施設を、大正初期に石造の貯水槽と石畳道、広場、共同風子が造られた。現在は地元だけでなく各地から涼を求める人々の憩いの場となっている。
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ヤハラヅカサ・浜川御嶽
沖縄県 南部
- 観光名所
ヤハラヅカサ:琉球開闢の神アマミキヨがニライカナイから上陸した際の第一歩を印した場所と伝えられている。浜川御嶽とともに国王や聞得大君が四月の稲穂祭に参拝したところです。 浜川御嶽:ヤハラヅカサに上陸したアマミキヨが仮住したところ。
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小谷の石畳道
沖縄県 南部
- 観光名所
昔の人々の知恵による堅固で美しい道。琉球石灰岩が敷き詰められています。
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白銀堂
沖縄県 南部
- 観光名所
ハーレーや大綱引などの祭祀が執り行われる拝所。お堂の中には自然の石筍が祀られている。「意地ぬ出じらぁ手引き 手ぬ出じらぁ意地引き(腹が立ったら手を出さないようにし、手が出そうになったら心を鎮めなさい)」という黄金言葉(格言)の舞台としても有名で、その由来は糸満漁師と薩摩の侍の伝説などの説がある。
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沖縄師範健児之塔
沖縄県 南部
- 観光名所
教員養成機関であった沖縄師範学校男子部から動員され、教師19名と学徒226名を含む同窓生290名を祀る。1950年建立。米軍が沖縄本島に上陸する前日の1945年3月31日に全職員生徒へ防衛召集。386名の学徒は陸軍2等兵の身分を与えられ25名の教職員と共に動員された。学徒は負傷兵の治療の補助、陣地構成、炊事、立哨、情報収集や伝達などの任務を担った。それぞれの隊では摩文仁撤退後も弾雨の中、伝令や水汲みなど危険な任務を行っていたが、残存兵と共に斬り込みを命じられた学徒もいた。また、「敵中を突破して北部へ行き再起を図れ」との解散命令により、数名単位に分かれて壕から脱出を試みた学徒も米軍の掃討戦により多くが犠牲となった。「沖縄師範健児之塔」の後方には、1946年3月に金城和信氏により建立された「健児の塔」や沖縄師範学校の生存者や関係者により、友情・師弟愛・永遠の平和を3名の学徒により表した「平和の像」が並列して設置されている。
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平和の塔
沖縄県 南部
- 観光名所
喜屋武では集落周辺や海岸近くに散在した遺骨を共同作業で収集し、1952(昭和27)年、名城ビーチ南側のミジハイと呼ばれる場所の近くに、「平和の塔」を建立し遺骨を納めた。1969(昭和44)年3月、南方同胞援護会の助成を受け沖縄県遺族連合会が現在の場所(喜屋武岬)に塔を移した。
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白梅之塔
沖縄県 南部
- 観光名所
沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所である。八重瀬岳の第24師団第一野戦病院解散後、16人の学徒がたどり着いたのが、上の壕(眞山之塔裏)、下の壕(白梅之塔側)と呼ばれた真栄里の自然壕である。上の壕は食糧弾薬倉庫、下の壕は傷病兵の看護場所で、学徒らは負傷兵の手当を手伝った。6月21日に下の壕が、翌22日に上の壕が米軍の激しい攻撃を受けた。白梅之塔には学校関係者149人が合祀されている。敷地内には国吉住民が建立した「萬魂之塔」がある。
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魂魄之塔
沖縄県 南部
- 観光名所
戦後最も早く住民の手によって建立された慰霊塔。合祀者3万5千人で、県内最大の慰霊塔である。毎年慰霊の日には、多くの県民が参拝に訪れ終日香煙が絶えない。 戦後間もなく、真和志村民は米軍の名により摩文仁村米須に移動。人々の目に映ったのは風雨にさらされる多くの遺体だった。遺骨収集は反米活動と見られていた当時、真和志村長の金城和信は米軍に遺骨収集の許可を強く要請。ようやく許可を受け、村民とともに数回にわたって遺骨を収集し、米軍提供の資材を利用して納骨所を建立、1946年2月に完成させる。
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