関西の城郭 スポット 20選
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福知山城(福知山城天守閣)
京都府 綾部・福知山
- 城郭
武将・明智光秀が建てた城。墓石や宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石臼などの転用石を積み上げた「野面積み」という手法を用いた石垣が特徴。石垣用の石が手に入らなかったため代用したといわれている。通常は1階屋根下の壁にある石落としを2階に設置している点もこの城ならではの見どころ。城内には光秀直筆の書状や甲冑を展示。天守閣には展望台が設けられ、眼下を流れる由良川や音無瀬橋を一望できる。
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尼崎城
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 城郭
兵庫県尼崎市にあった城。明治期の廃城令により廃城、残された本堂も戦災に遭い焼失したが、本丸は現在も市立小学校の敷地として利用されているほか、市関連施設の敷地や宅地、城址公園として整備されている。近年には資産家による約12億円の寄贈など市民の寄付により天守が復元、「平成最後の築城」と話題になった。同じ尼崎市に存在した大物(だいもつ)城も尼崎城あるいは尼崎古城と呼ばれるが、阪神電鉄大物駅付近に位置する別城と見られている。
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和歌山城
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 城郭
和歌山県和歌山市一番丁に位置する「日本100名城」の一つ。城跡が国の史跡に指定されている。徳川御三家の一つ、紀州藩紀州徳川家の居城として築かれた。白亜の天守閣は第二次大戦で焼失した後に再建されたもので、市民や同市出身の松下幸之助による寄付金で総工費の半額近くが賄われたという。現在は内部に資料が展示されており見学が可能なほか、眼下には和歌山市街の眺望を360度見渡すことができる。全国でも珍しい、城の敷地内の動物園も。
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竹田城跡
兵庫県 神鍋・鉢伏・養父・和田山
- 城郭
竹田城跡は、標高353.7mの古城山山頂に築かれた山城です。古城山の山全体が虎が伏せているように見えることから、別名「虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)」とも呼ばれています。天守台・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪が配置されており、縄張りの規模は東西に約100m、南北に約400m、「完存する石垣遺構」としては全国屈指の規模を誇ります。築城当時は土塁で守られていた城が、最後の城主赤松広秀により、今に残る総石垣造の城に改修されたとされます。
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利神城
兵庫県 姫路・赤穂・播磨
- 城郭
利神城は池田出羽守由之が築き「雲突城」と呼ばれていた城郭。現在では本丸や二の丸などの石垣群が往事をしのばせています。現在崩落個所があり危険なため、登山は差し控えていただいております。 なお、平成29年10月13日に国史跡に指定されました。
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龍野城
兵庫県 姫路・赤穂・播磨
- 城郭
明応8年(1499年)に豪族の赤松村秀が鶏籠山に築いた。以後政秀、広貞、広秀と続いたが、天正5年(1577年)に豊臣秀吉によって開城し、秀吉はあらたに蜂須賀正勝を置いた。 江戸時代に万治元年京極高和の丸亀移転の際に破却されたが、1672年に脇坂安政によって龍野城が再建された。この際山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になった。現在の本丸御殿は1979年に再建されたものである。 歴代城主には福島正則、池田輝政なども挙げられる。
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野間山城跡
兵庫県 姫路・赤穂・播磨
- 城郭
7代目在田筑前守村長が整備した軍事防衛を目的とした城跡。野間川を挟み、東に居城の光竜寺山城、西に詰め城野間山城がある。南北朝時代から約220年間使用された。城は両翼を広げた鶴に見立て「鶴林城」の名も。照葉樹林が群生し、ヒカゲツツジやタムシバ(コブシ)も見事。光竜寺山城跡は、見晴らしがよく、遊歩道が続く。
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光竜寺山城跡
兵庫県 姫路・赤穂・播磨
- 城郭
野間山城と同じく7代目村長が整備。政治的、経済的権威を示すための居城跡。ハイキングコースも併設。
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城山城跡
兵庫県 姫路・赤穂・播磨
- 城郭
嘉吉の乱の播磨の守護職赤松満祐が戦略拠点とし築いた城跡。
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上月城
兵庫県 姫路・赤穂・播磨
- 城郭
延元元年、上月次郎の築城と伝えられ、天正年間に落城があり、赤松一族の悲惨な最期、山中鹿之助の奮戦、尼子勝久の自刃など、戦乱の世の悲劇の城跡です。また、平成26年度NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の黒田官兵衛ゆかりの地としても知られています。
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高山城跡
奈良県 奈良・斑鳩・天理
- 城郭
中世生駒市北部の高山を治めて、南都を中心に活躍した「鷹山氏」が築いた山城で標高は約218mです。この城の縄張りは、丘陵の頂上に主郭があり、その東側から南西側に郭を配置して守りを固めていました。
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松山城(秋山城)跡
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 城郭
ここは戦国時代に「宇陀三将」と称された秋山氏の本拠地・秋山城でした。 天正13年(1585)に秋山氏が追放された後、豊臣家配下の大名によって城の大改修と城下町の拡大整備が行われ、町名も阿貴町から松山町へと変わり、城もまた松山城と呼ばれるようになりました。
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片岡城跡
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 城郭
片岡城を築いたのは片岡国春。上牧町内の下牧地区から金富地区へ抜ける峠道の頂部分に中世の山城と伝えられる片岡城跡があります。片岡城は1550年ごろに片岡国春によって築かれたとされています。 下牧に片岡城を築く前は、隣町の王寺町と香芝市の境界あたりにある小高い山送迎(ひるめ)山の標高262メートルのところにありました。この頃の葛城地方は片岡氏に続いて南のほうへ順に岡・万歳・布施・倶志羅・楢原・吐田の六人が勢力を伸ばし、倶志羅氏以外の五氏はいずれも山城を築いており、片岡国春の送迎山城も地理的に良く似たところにあります。
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二条城東大手門
京都府 河原町・烏丸・大宮周辺
- 城郭
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岸和田城
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 城郭
元弘4年(1334)、楠木正成の一族・和田高家が今の城よりも東側の野田町に築いたのが始まりとされる岸和田城。本丸と二の丸を連ねた形が、ちぎりに似ているため、千亀利城(ちきり城)とも呼ばれている(「ちきり」とは機(はた)のたて糸をまく器具のこと)。天正13年(1585)には、羽柴秀吉の紀州根来寺討滅により、秀吉の伯父・小出秀政が城主になり、本丸を五層の天守に大改修。以降、岸和田城主は、小出氏3代、元和5年(1619)からは松平(松井)康重・康映、寛永17年(1640)からは岡部氏がつとめていた。岡部宜勝(のぶかつ)は、さらに城を大改築し近世城郭を築き上げ、岡部氏は明治維新まで13代居城していた。文政10年(1827)に天守閣が落雷で焼失し、維新期には櫓・門など城郭施設を城主が自ら破壊したため、近世以前の構造物は堀と石垣以外残っていない。現在の天守閣は、昭和29年(1954)に建造された3層3階の模擬天守で、内部には資料展示室と望楼など。ほかに本丸には「八陣の庭」と言われている庭園がある。
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特別史跡 彦根城跡
滋賀県 彦根・長浜
- 城郭
国宝に指定された天守のうちの一つ。別名「金亀城」。白亜三層の天守は今もなお気高い雄姿を誇り、城内には国宝の天守のほか、天秤櫓や太鼓門櫓など重要文化財が現存し、桜、新緑、紅葉、雪景色など四季折々の情緒を感じさせる。井伊直政の子直継・直孝が慶長9年(1604)築城に着手、7ケ国12大名の手伝い普請で20年の歳月をかけて完成。以後、井伊氏歴代の居城となった。幸い取り壊しを免れたため、三層三重の天守をはじめ多くの遺構を今に残している。堀には琵琶湖の水を巧みに利用し、井伊家で舟遊びなどに使われていた。平山城。
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岩本城跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 城郭
岩本城跡は岩山山下地区の背後、通称「城山」の山頂部に築かれた戦国時代の山城。山頂の主郭部には土塁跡が残り、周辺にも曲輪跡が残る。南北朝の動乱で落城したとの伝承もあるが、周囲から石塔や瓦が出土するなど謎を秘めている。
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園部城址
京都府 湯の花・丹波・美山
- 城郭
威風堂々とした城門と、なだらかな石畳に沿って白壁の土塀が続き、左手に二層の隅櫓がある。城門は、府立園部高校の校門になっている。
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八木城跡
京都府 湯の花・丹波・美山
- 城郭
丹波三大山城の一つといわれる「八木城」は、戦国のキリシタン武将内藤ジョアンが最後の城主とも伝えられる幻の山城です。
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吉原山城趾
京都府 丹後・久美浜
- 城郭
標高181m、京都府の歴史的自然環境保全地域にも指定されている権現山にある峰山城跡。戦国の武将、一色、細川、京極藩主が蔵王権現を祀ったところから権現山とも呼ばれている。春の桜、秋の紅葉で格好の散策地になっている。
関西の城郭探し
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