大分市の史跡 スポット 11選
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曲石仏
大分県 大分
- 史跡
石窟正面の壁に像高3mの釈迦如来像、入口の両側に多聞天、持国天を刻んでいる。(森岡小学校校門前にある浄水場から林の中の狭い道を70mほど下った石窟の中にあります。)
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毛利空桑記念館・天勝堂
大分県 大分
- 史跡
尊王の教育者毛利空桑旧宅の天勝堂、塾跡の知来館の外に、史料や文献・遺品類がされている遺品館がある。遺品館の前の空桑思索の道には、2015年11月には「海舟・龍馬」の石造が建立されました。
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豊後国分寺跡
大分県 大分
- 史跡
「国分寺」は、奈良時代、聖武天皇の発願により全国に建てられたお寺です。発掘調査により、現在も残る礎石により、七重塔、金堂などの荘厳な建物が建ち並んでいたことがわかりました。当時の事域跡の一部が史跡公園として整備され、隣には大分市歴史資料館が建っています。
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府内城址
大分県 大分
- 史跡
通称、荷揚城。慶長2年(1597)に福原直高が大分川河口近くに築城を始めました。しかし、わずか1か月で改易となり、早川長敏に代わった。同6年に竹中重利が入って増築し、それを機会に、それまでの荷揚城の城名を府内城と改めました。このあと、寛永11年(1634)に日根野吉明が、万治元年(1658)に松平忠昭が城主となり、日根野・松平氏の時代が続いた。白雉城ともいいます。現在は、石垣・土塀、橋などが補修・整備されて公園となっています。県指定史跡。
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脇蘭室の墓
大分県 大分
- 史跡
江戸時代の教育者。日出町生れ。三浦梅園門下。肥後領鶴崎(大分市)定詰藩士の子弟教導方になる。高弟に帆足万里・毛利空桑らが現れる。鶴崎の寺司の共同墓地にあります。
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千代丸古墳
大分県 大分
- 史跡
石室は南に開口部(入口)をもつ横穴式石室で羨道(奥室までの道)と玄室(奥室)とからなっています。装飾古墳の代表的なもの。
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亀塚古墳公園
大分県 大分
- 史跡
大分県内最大級の前方後円墳。ガイダンス施設として「海部古墳資料館」で開設しています。「亀塚古墳公園」では、古代より畿内と深いつながりのあった「海部の民」に思いをはせ、毎年10月の中下旬の日曜日に古墳時代の儀式を再現する「海部のまつり」が催されます。
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大分元町石仏
大分県 大分
- 史跡
市街の南、上野丘台地東端の岩壁に刻まれた5体の石仏。本尊の薬師如来は像高3.075m、平安初期の作と推定され、力強く彫られた端正な姿が印象的。その左右にある多聞天・不動明王などは風化が激しい。国指定史跡。
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高瀬石仏
大分県 大分
- 史跡
大分川の支流、七瀬川に架かる七力橋を渡って5分のところにある。本尊の大日如来像を中心に馬頭観音・大威徳明王などが並ぶ。平安時代末期の12世紀中ごろの作と推定され、彩色が鮮やかに残る。
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岩屋寺石仏
大分県 大分
- 史跡
大分元町石仏の西南約600m、龍ヶ鼻付近の崖にあります。 大分元町石仏同様に凝灰岩質で、特に岩質があらく、永年の風雨のため、腹部から脚部に下る程侵食がはなはだしく、すでに輪郭をとどめていない像も少なくありません。 全部で十七体の磨崖仏から構成され、中央にあるひときわ大きな如来坐像(推定)をはさんで、向かって右側には十一面観音菩薩立像など六像が並びます。向かって左側には、不動明王立像など十像が掘り出されています。
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築山古墳
大分県 大分
- 史跡
5世紀中頃に造られたと考えらている全長約90mの前方後円墳。総量34kgという大量の朱が使われているなど、最高級の豪華葬であったことも判明し、海人部(海部郡)の歴史を知る上で重要な遺跡であるとして調査が続けられています。 国指定史跡の前方後円墳です。
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