浦添市の史跡 スポット 8選
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当山の石畳道
沖縄県 中部(北谷・コザ)
- 史跡
全長約200m、幅3mのS字型の起伏にとんだ石畳道。琉球王国時代、首里城と沖縄本島中部を結ぶ中央街道の一部。
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浦添城跡
沖縄県 中部(北谷・コザ)
- 史跡
浦添城跡は浦添市の東の小高い山にある。浦添は、1187年から1406年まで琉球の王都として栄えた。舜天王統、英祖王統、察度王統の居城と言われている。その北側の崖下に英祖王と尚寧王の“ようどれ”がある。ようどれとは墓陵の意味である。浦添城跡は今は公園となっているが、沖縄戦では日米両軍によって争奪戦が行われた激戦地の一つでもある。
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伊祖城跡
沖縄県 中部(北谷・コザ)
- 史跡
中山王になった英祖が誕生した所といわれる。英祖王の父祖代々の地で、城跡内からは中国製青磁等が出土し、当時の有力な豪族の暮らしぶりがうかがえます。現在、伊祖公園として整備されています。
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浦添ようどれ
沖縄県 中部(北谷・コザ)
- 史跡
浦添城北側の崖下にある英祖王、尚寧王(第2尚氏七代王)の墓陵。墓室内には石厨子があり、仏教文化の影響を色濃く残した、県指定文化財です。「ようどれ」とは夕凪(ゆうなぎ)の琉球語ですが、極楽を意味するものと考えられます。
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安波茶橋
沖縄県 中部(北谷・コザ)
- 史跡
1597年に尚寧王が首里一浦添グスクの道を石畳道に整備したときに小湾川に架けられた石橋で、北橋と南橋及び石畳道からなる。沖縄戦で大きく破壊されたが、平成7年から整備を行い北橋と石畳道の一部は復元された。現在南端と石畳道の復元に向けた整備工事を行っている。
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浦添グスクようどれ館
沖縄県 中部(北谷・コザ)
- 史跡
古写真や発掘調査のパネル、出土遺物などから、浦添グスクと浦添ようどれの歴史がわかりやすく学べます。館内の奥の部屋には、実物大で再現された浦添ようどれの西室(英祖玉陵)が展示されております。 館内では歴史ガイドの方から説明を聞くこともできます。
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伊祖の高御墓
沖縄県 中部(北谷・コザ)
- 史跡
英祖王の父である恵祖世主と二人の按司(豪族)の遺骨が納められていると伝えられています。崖の洞窟を利用したもので、墓前には石積みが施されています。地上から20mほどの高所にある事から高御墓と呼ばれています。
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玉城朝薫の墓
沖縄県 中部(北谷・コザ)
- 史跡
玉城朝薫は、琉球の国劇・組踊の創始者です。朝薫は、玉城間切惣地頭家に1684年 に生まれています。天性の才能を発揮して、たびたび王府の踊奉行をつとめ、中国の 冊封使節一行を歓待するために、組踊という演劇様式を生み出しました。この墓は、 玉城一族の墓として17世紀後半頃につくらた亀甲墓で、珍しい形をしています。去る 沖縄戦で屋根が破壊されていましたが、平成17年3月に修復しました。
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