柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)の史跡 スポット 20選
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深鉢形土器
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
昭和11年、馬高遺跡から近藤篤三郎によって発掘された高さ29.5cm、口径30cmの縄文土器。4単位の華麗な把手装飾と口縁の連続波形、及び隆線による体部全面装飾は寸部の隙もない文様構成をしている。この土器は新潟県を中心として分布する「火焔土器」と呼称される土器群の基準となる遺品である。
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刈羽貝塚
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
県内唯一の淡水産貝塚として、昭和27年4月に国立博物館の八幡博士らによって発掘調査が行われ、同年10月に県教育委員会より新潟県文化財に指定されました。
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良寛堂
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
良寛堂は良寛の生家橘屋の屋敷跡(当時は現在の境内の2倍はあったそうです)に良寛の遺徳を顕彰し良寛を偲ぶために、郷土史家、佐藤耐雪翁(余談ですが反町康治北京五輪代表監督は耐雪氏のひ孫です)が発案し、安田靭彦画伯が設計、大正11年(1922)9月竣功しました。その後翁から出雲崎町に寄贈されたものである。ゆったりとした建物は素朴で心豊かな良寛のイメージをいかしている。堂内には良寛が常に持ち歩いたという石地蔵をはめ込んだ多宝塔に「いにしえにかわらぬものはありそみとみかひにみゆるさどのしまなり」の良寛自筆の歌が刻まれている。境内裏には良寛の母の国佐渡ヶ島を見つめるように座っている良寛像があります。
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出雲崎代官所跡
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
元和の時代、越後の天領代官所は出雲崎が最初で、江戸時代を通して置かれていたのはここだけでした。元和2年(1616)出雲崎に代官所が置かれると、初代代官高田小次郎は、民衆の力の強かったこの町を「出雲崎」と「尼瀬」の2つに分け、それぞれに名主(橘屋・京屋)を置きました。代官所は何度か移転していて、ここに代官所が設置されたのは文化5年(1808)で、幕府最後の代官所は、官軍の進撃時一切の記録を焼き捨てて新潟方面へ敗走し、官軍がここに民政局を設け住民を安心させました。当時は山手側残らず屋敷内で、市街に沿って3面濠を巡らし堤土には青松が優雅にあり、御門、長屋、本陣、牢屋等がある広大なものであり、明治維新まで存続しましたが、現在は往時を物語る老松と跡地及び稲荷神社が残されているだけです。
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獄門跡
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
処刑人の霊を慰めるためにお地蔵様が安置されており、供養塔は天明3年(1783)の建立と言われており、数体の地蔵尊と老榎が当時を偲ばせます。現在でも霊を慰めるため、毎年9月1日に尼瀬町内の人達によって、このお地蔵様の前で百万遍講を行っています。 残念ながら戊辰戦争時、代官の手の者によって江戸時代の処刑者の数や氏名、罪名を記した獄門帳やその他の書類を処分したため残ってないが、『遠い越佐の海』という書物には天明3年にあった柿崎の米騒動の首謀者がここで処刑されたと書かれています。 良寛さんは名主見習いの時、首切りの立会いが嫌で家出をしたと言われ、良寛さんの出家の動機の1つと考えられています。 今では首切りの「リストラ除け」として願掛けに多くの人が訪れます。
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銀山間歩(坑道跡)
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
寛永18年、湯之谷郷の源蔵が発見したのに始る。会津との国境争いを経て、高田藩による採掘がはじまり、安政6年閉山になるまで断続的に採掘された。
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朝日山古戦場
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
北越戊辰戦争時、新政府軍岩村精一郎と長岡藩河井継之助の会談が決裂し、戦争は激化していきました。死闘が繰り広げられた朝日山では、両軍の大砲小銃が間断なく響きわたったといわれています。山頂付近にはフランス式塹壕や野営地の跡が今も残っています。 ※山頂へは山道ですので滑り難い靴でお越しください。
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秋幸苑と行在所(飯塚邸)
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
昭和22年(1947)昭和天皇が新潟県を巡幸の折、天皇の宿泊所(行在所)となったのが飯塚知信邸でした。後に飯塚邸の庭に宮内省(現・宮内庁)より「秋幸苑」の名を賜わりました。平成13年に柏崎市に寄贈されました。
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男釜・女釜
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
珍しい海蝕洞内の波蝕台上に刻まれた波蝕鴎穴で、弥彦神社のご祭神がこの地に上陸され、村人に塩たきの術を授けられた跡とも伝えられている。 ●男釜(径170cm)・女釜(径130cm):洞内鴎穴9ヶ所 ※昭和59年実測
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桝形城址
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
上杉の将、甘糟近江守景持の居城と言われる。西を大手とし搦手、出丸等の跡が今もなお残っている。山頂部の本丸跡から広がる大パノラマでは、日本海や東方遥かに越後三山が一望でき風光明媚である。
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栖吉城跡
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
長岡市街地から東方約7kmの栖吉集落の東にそびえる城山にある古志長尾氏の本拠である。慶長三年、上杉家の会津移封により廃された。
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藤橋歴史の広場(藤橋遺跡)
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
藤橋遺跡は、県内でも有数な縄文時代晩期の大集落跡で、高床式の建物が特徴。住居跡や多数の遺構とともに多種の土器、石器が出土した。また、ヒスイの原石を加工していた集落と推定され、玉作りの遺跡とも推定されている。平成4年に「藤橋歴史の広場」として整備された。
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西国33番ミニ霊場めぐり
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
龍光院境内にある西国33番ミニ霊園。遊歩道に沿って点在している石仏をめぐります。
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馬高縄文館 火焔土器ミュージアム(馬高遺跡、三十稲場遺跡)
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
馬高縄文館 火焔土器ミュージアムは、火炎土器の発見地、史跡「馬高・三十稲場遺跡」にかかわる資料を紹介するガイダンス施設です。 馬高遺跡で最初に発見された「火焔土器」の実物が展示されています。また、本物と同じ大きさと重さのレプリカも展示しており、実際に触れることもできます。馬高・三十稲場遺跡は、信濃川左岸の河岸段丘上の東側に馬高、西側に三十稲葉と別れて立地しています。この遺跡は、これまでに多くの調査が実施されており、多数の住居址や炉址とともに、火炎土器・王冠型土器、玉などの装身具、大型土偶などが出土しました。
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入沢一族と池田謙斎生誕の地(入沢記念庭園)
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
西野の入沢一族は医学界のために大きな功績を残した。 中でも謙斎(1841〜1918・津和野藩、池田玄仲の養子となる)は、西洋医学を修め明治新政府に登用され、軍医監を経て、帝大医学部総理となった。明治19年に明治天皇の侍医となり、日本での医学博士第一号を受けた名誉ある人である。 甥の達吉(1865〜1939)は、東京帝大の医学部長、日本内科学会会頭などを歴任し、大正天皇の待医頭(じいのかみ)となって天皇崩御まで献身的に尽力した。
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本与板城跡
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
上杉謙信の重将直江大和守実綱の居城で謙信の内政、外交に活躍、また関東、越中の出兵の根拠地として重要な役割を果したすばらしい山城である。
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栃尾城跡
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
戦国武将・上杉謙信公(長尾景虎)が14歳で旗揚げをした地。千人溜りや馬場跡など、今でも遺構を見ることができる。
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徳昌寺・徳昌寺遺跡
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
曹洞宗で与板城主であった直江山城守の菩提所であり、良寛ゆかりの寺である。また、丘陵に縄文時代中期の4〜5人ほど住める竪穴住居跡がある。
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菊屋五十嵐家跡聚感園
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
北越の豪族、五十嵐氏(菊屋)の草創以来、住居した邸跡で、千年の歴史を刻み、順徳上皇行宮の際おすごしになった地で歌碑もある。また、源義経・弁慶主従が北国落ちの時に宿され、弁慶自ら掘ったといわれる井戸がある。
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西倉遺跡
新潟県 柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)
- 史跡
今から約1万年前の縄文時代草創期の遺跡で、指の爪で模様をつけたと考えられる爪型文土器に特色があります。
柏崎・寺泊・長岡・魚沼(湯之谷)の史跡探し
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