飛鳥・橿原・三輪の史跡 スポット 20選
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唐古・鍵遺跡
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
唐古池を中心とした集落跡。弥生時代を代表する遺跡で,国の史跡指定を受けている。遺跡の面積は42ha。平成3年の調査で出土した土器の絵を基に復元された高さ12.5mの楼閣がそびえる。
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纏向遺跡
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
奈良県桜井市にある遺跡。弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡、複合遺跡であり、国の史跡にも指定されている。初期ヤマト政権発祥の地として、西の九州の諸遺跡群に対する邪馬台国東の候補地として、全国的にも高い知名度を誇る。
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今井町
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
橿原市の中部にある地区の名称。一帯はかつて「大和の金は今井に七分」と言われるほど繁栄した町で、現在も江戸時代の情緒と風情を街並みに残す。東西600m・南北310mの一帯は国が選定する重要伝統的建造物群保存地区にも選出されており、17.4haの地区内にある全戸数約760戸のうち実に約500戸が伝統的建造物に当たる。町屋が軒を連ねる中にカフェやレストラン、土産品店などが入り、街並み散策に観光客が訪れている。
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藤原宮跡
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
持統,文武,元明天皇の三代16年間(694〜710年)の宮跡。藤原京は、中国(唐の長安)を模して造られた日本初の本格的な宮跡。大小の道路によって区画され、「条坊制」という町割り制度が敷かれていました。宮殿建築で初めて屋根に瓦を葺くようになりました。また,役所にあたる朝堂院は平城京の朝堂院より大きかったそうです。“春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山”持統天皇の歌はここで詠まれた。
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高松塚古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
文武天皇陵の北東にある小さな円墳。昭和47年,石槨内部から鮮やかな壁画が発見され一躍有名になったところ。7〜8世紀初めの古墳終末期の築造と推定され,内部正面北壁に玄武,東西の壁中央に青竜と白虎,それをはさんで4人ずつ計16人の男女の群像,また天井には星宿図が極彩色で描かれている。すでに盗掘されていた石槨から,海獣葡萄鏡や刀剣金具をはじめ人骨も出土。これらからおよそ40〜60歳の長身の男性で,皇族か有力な貴族と推測されるが被葬者名は明らかではない。
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箸墓古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
奈良県桜井市箸中にある古墳。全長272mの前方後円墳である。紀元後3世紀後半、弥生時代から古墳時代に造られたとされ、現在は宮内庁により陵墓として管理されており立入が制限されている。孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓、また研究では邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もあるが、詳細は不明。百襲姫の陰部に箸が突き刺さり絶命したことが名の由来とされる。周辺の濠の一部は「箸中大池」として「ため池百選」に選定されている。
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キトラ古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
国営飛鳥歴史公園内にある小さな円墳で、7世紀末~8世紀初頭頃に造られたとされている。二段築成で上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段合わせて4mを少し超えると推測されている。墳丘の中央には石室があり、内部に描かれた四神(天の四方を司る神獣)、十二支、天文図、日月の壁画は、国宝に指定された。四神の図像が揃うのは日本ではここだけで、天文図も本格的な中国式星図で現存するものとしては世界最古。石室からの主な出土品は、重要文化財に指定されている。
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三井(赤染の井)
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
聖徳太子が開さくしたと伝える三つの井戸のうち、現在、赤染の井だけが残る。
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中尾山古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
奈良県明日香村にある国指定史跡。直径約30m、一辺約10mの八角形墳で、第42代天皇の文武天皇の真陵とされる。小規模な古墳ながら三段構造となっており、内部には切石を組み合わせた精巧な石槨があり、石材の一部が露出している。火葬骨が埋葬されており、火葬の導入を表す古墳とされる。近辺には飛鳥歴史公園館があり、また自然に囲まれた立地では紅葉を楽しむこともできる。近鉄飛鳥駅から徒歩10分。
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石舞台古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
蘇我馬子の墓とも伝えられるこれこそ飛鳥のシンボル,日本でも最大級という横穴式石室をもつ古墳である。すでに盛土は失われて巨大な石室が露出しているが,基壇の1辺51mの方形墳。玄室は長さ7.6m,幅3.9m,高さ4.7mの豪壮なスケールで70t級の花崗岩30数個を使用,床面周囲に排水溝をめぐらすなど上代土木事業の素晴らしさに驚かされる。この辺りは島庄と呼ばれ,島宮のあったところでこの地の豪族蘇我馬子の墓とする説が有力だが,その確証はない。
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築山古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
古墳最盛期5世紀ごろ築造された前方後円墳です。市域の古墳群のうち最大のもので、長さ210メートル、水濠を加えると261メートルになります。武烈天皇陵と伝えられていますが、被葬者はいまだ特定されていないミステリアスな魅力をもった古墳です。
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高田城址
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
高田城は、現在の片塩小学校、常光寺池一帯にあったとされています。永享4年(1432年)に室町幕府六代将軍・足利義教の命により当麻氏が城主に任ぜられ、その後、約150年間にわたり戦国武士が群雄割拠した時代に重要な役割を果たしました。今、この地には、常光寺に隣接して榎の大木とともに、石碑が建てられ、往時をしのばせます。
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菖蒲池古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
橿原市の南東部、明日香村との境界線付近に位置しています。墳丘の形状は一辺約30m、二段築盛の方墳。横穴式で内部に家形の石棺二個が納められています。石室部分が国の史跡に指定されています。
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丸山古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
丸山古墳(まるやまこふん)は奈良県最大の前方後円墳で、全長約310m、後円部径約150m、前方部幅約210m、周濠を含めると全長約420mにもなる超大型の前方後円墳です. 6世紀後半に築かれたと考えられています。この古墳はあまりにも大きいため全体像が分からず、円墳と考えられていた時代もありました。そのため、前方後円墳であるにもかかわらず丸山古墳と呼ばれているのです。
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本薬師寺跡
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
奈良市にある西の京の薬師寺の前身にあたる寺の跡。天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気回復を祈願して、天武9年(680年)に建立に着手。完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。平城遷都に伴い本薬師寺となり、現在は小堂と礎石や土壇が残っています。
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新沢千塚古墳群
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
新沢千塚は総数約600基からなる古墳群で、日本を代表する群集墳(ぐんしゅうふん)でもあります。古墳群は、市南側で高市郡高取町との境界となっている貝吹山(かいぶきやま)から四方に派生する尾根のうち、北西方向に伸びる低い丘陵上に立地しています。
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神武天皇陵
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
初代天皇とされる神武天皇の御陵。長い玉砂利の参道,素木の大鳥居の立つ御陵。周囲100m高さ5.5mの八陵円形の御陵で、広い植え込みがあり幅約16mの周濠をめぐらしている。
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植山古墳
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
植山古墳は、東西長約40m、南北長約32m、高さ約5mの長方形墳です。墳丘の周りには、「コ」字型に壕が巡らされています。埋葬施設は、2基の横穴式石室(東石室・西石室)をもつ「双室墳・双室墓」が並んで設けられています。また、東石室は6世紀後半、西石室は7世紀前半に築かれたものと考えられており、被葬者については、築造時期から推古天皇と竹田皇子の可能性が考えられています。
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安寧天皇陵
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
第3代天皇陵。古事記によると、第3代安寧天皇は、その名を磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)といい、第2代綏靖天皇の息子です。
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孝元天皇陵
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 史跡
第8代天皇陵。日本書紀によると孝元天皇の名は、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)といいます。父は第7代孝霊(こうれい)天皇です。都を大和の軽の境原宮に置いたとされ、その場所は現在の橿原市大軽町付近にあたると考えられています。
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