人気のプラン
近江八幡市の遊園地・テーマパーク・美術館 ランキング
近江八幡市の遊園地・テーマパーク・美術館 スポット 20選
-
安土城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
標高約200mの安土山山上にあり、400年を経た今も石垣や礎石が往時をしのばせてくれる。 安土城は、織田信長が、天正4年(1576年)から3年有余をかけ完成した五層七重の、わが国最初の天主閣を有する城。本能寺の変で信長が倒れたのち、城下町とともに焼き払われ、天下の名城をわずか3年にして灰燼と化した。 当時は四方を琵琶湖と沼に囲まれていたが、今は大中の湖干拓地として田園が広がり、そう見寺跡から見る西の湖が美しく、わずかに二の丸跡の信長墓所や、秀吉、前田利家などの屋敷跡が戦国の世を語り伝えている。 織田信長(1534年〜82年) 尾張に生まれたが、永禄10年岐阜城主となり、10年東奔西走して安土に移る。井の口を岐阜と改称した。本能寺の変に討死。
-
安土城天主信長の館
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 博物館
焼失から400余年経た1992年「スペイン・セビリア万博」の日本館のメイン館展示として、安土城天主の最上部5階6階の部分が、原寸大にて忠実に内部の障壁画と共に復元された。博覧会期間中には最も多い入場者数を記録し、人々の日本文化への関心の深さが示された。 万博終了後、その「天主」を安土町が譲り受け解体移築し、新たに5階部分に「発掘された当時の瓦を焼きあげて再現した庇屋根」「天人の飛ぶ様を描いた天井」、6階部分に「金箔10万枚」を使用した外壁、「金箔の鯱を乗せた大屋根」が取り付けられた。内部には当時信長が「狩野永徳」を中心に描かせたと伝えられている「金碧障壁画」の再現もされ、「平世の安土城」として保存展示している。 また平成27年4月より、VR(バーチャルリアリティ)安土城シアターがオープンした。約15分間のショートムービー「絢爛・安土城」を、200インチの大画面で上映している。
-
曳山とイ草の館
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 博物館
浅小井町自治会立の伝習施設で、館の設計、展示計画、建設、管理、運営すべてを自治会(伝習施設運営委員会)で行っている。 近隣景観形成協定(平成2年締結)によるまちづくりは、「湧水」「まちづくり」「曳山」「イ草」の四つのテーマで、町民が主役のまちづくりを展開している。 「曳山とイ草の館」は地域のまちづくりの拠点となっている。 今も巡行される6基の曳山といぐさの栽培や、畳表の制作道具が展示されるユニークな資料館。
-
大中の湖南遺跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
湖の干拓事業中に土器片・石器・貨弊など縄文から鎌倉にかけての遺跡が発見された。
-
瓢箪山古墳
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
四世紀後半に造られたとされる、県下最大かつ最古級の古式古墳とよばれる前方後円墳。出土品が多数あった。国の史跡に指定されている。
-
老蘇の森
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
観音寺山東麓の老樹・大木の森林だが、今は昔の半分。
-
観音寺城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
築城年代は明らかでないが、近江の守護佐々木氏累代が居城し、同氏が六角と京極の二流に分かれてのちは、惣家六角氏の居城となった。 安土山の南方、湖東で一番高い観音寺山の山頂を本丸とし、山の要所に郭や砦を構え、近くの峰々にも支城を配した規模の大きい中世の山城であった。 永禄11年(1568年)六角義賢(承禎)・義治父子の時、上洛を目指す織田信長に進攻されて落城、以後は廃城となった。 今、山の所々に石塁や郭の跡が残る。 六角義賢(1521年-98年) 観音寺城主。入道して承禎。近江南半国を領有、足利将軍義晴・義輝を庇護。信長に攻められて落城。
-
教林坊
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 庭園
西暦605年、聖徳太子によって創建されたと伝わり、林に囲まれた地で教を説かれたことから「教林坊」と名づけられた。 ご本尊の観音さまは同じく聖徳太子作で、赤川観音と呼ばれ、困難な願いも二度参れば叶う「再度参りの観音」と信仰を集めてきた。 また小堀遠州作と伝わる境内に広がる庭園は、苔むした巨石が連なる豪快な桃山時代の名勝庭園で、茅葺きの書院(江戸初期、市指定文化財)とあわせて侘びさびの隠れ里の風情を醸し出している。 晩秋には、2000坪の境内を埋めるように植えられた約200本のもみじの古木が真っ赤に染まり、周りをかこむ数千本の竹林とのコントラストで拝観者を魅了する。毎年11月15日から12月5日にかけて紅葉ライトアップも開催される。
-
近江風土記の丘
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 公園
安土城跡近くにある歴史公園。 県下から移築された、旧安土巡査駐在所、旧柳原学校校舎、旧宮地家住宅などがある。資料館には、滋賀里遺跡の屈葬人骨、大中の湖南遺跡出土品など、県内各地からの考古品、美術工芸品が展示されている。
-
文芸の郷
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 公園
歴史、文化、芸術、スポーツの中核ゾーン
-
旧西川家住宅
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 博物館
江戸時時代の町並みの面影を残す、新町通りの歴史民俗資料館の隣りに一軒民家をはさんで旧西川家住宅がある。 典型的な近江商家の面影を残すこの家は、店の部分と居宅部分に分かれており、突き出した座敷玄関を持っているのが特徴。壁を黒く塗り、トガ材を使った京風建築の2階建家屋は、どっしりとした構えで、江戸時代中期頃の建築と推定されている。 見かけより奥行きが広く、庭に植えられた木々の周りに飛び石が巡らされ、地面には苔が生えている。 近江商人の隆盛ぶりを偲ぶことができ、国の重要文化財に指定されています。 西川利右衛門について 西川家は屋号を大文字屋と称して蚊帳や畳表を商い、江戸、大坂、京都に店を構えた。現在資料館として入館できる施設は、3代目によって宝永3年(1706年)に建てられたもので、昭和58年1月に国の重要文化財に指定され、昭和60年10月より33ヶ月の工期を経て、改修された。 昭和5年に後継者が無いまま11代目が亡くなり、約300年にわたって活躍した西川家は終焉を迎えた。 西川家の家訓は「先義後利栄・好富施其徳」。義理人情を第一とし、利益追求を後回しにすることが商売繁盛となり、得られた富に見合った人間形成を行えと説いている。
-
安土城郭資料館
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 博物館
JR安土駅南広場にある、城郭を思わせるような建物が城郭資料館。 この資料館には、織田信長が築城した安土城のひな形が、実物の20分の1の大きさで再現されている。 安土城は、金箔瓦をいただき、外観5層内部7階で、内部は狩野氷徳(かのうえいとく)の襖絵や異国文化の調度で飾られていた豪壮華麗な城。また、本格的な天主閣をもった初めての城といわれる。外人教師ルイス・フロイス(1532-1597)が本国に送った書簡に書いたことで、ヨーロッパ中に紹介された。 その天主閣が細部まで忠実に再現されており、安土城の姿を偲ぶことができる。 ローマ宣教師によって献上され、日本で初めて織田信長が飲んだといわれるローマコーヒーも味わうことができる。 新春特別企画 期間限定特典情報あります!
-
安土城考古博物館
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 博物館
特別史跡安土城跡・史跡大中の湖南遺跡・史跡瓢箪山古墳・史跡観音寺城跡からなる歴史公園「近江風土記の丘」の中核施設として平成4年に開館。 第1常設展示室では「考古」をテーマに弥生時代、古墳時代の近江にタイムスリップする。第2常設展示室では「中世・戦国時代」をテーマに、安土城をはじめとする城郭の変遷や織田信長の人物像にせまる。 企画展示室では、春・秋2回の特別展と夏・冬2回の企画展を開催。 その他、博物館講座、体験博物館、お茶会、写生大会、子ども考古学教室など地域に開かれた親しみやすい博物館を目指して、様々な催しを実施している。
-
滋賀県立安土城考古博物館
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 博物館
-
近江八幡運動公園
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 公園
-
西光寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 庭園
貞安上人が開いた寺であり、織田信長ゆかりの「安土宗論」で知られる浄土宗の寺。 市内屈指の規模を誇り、円山応挙の筆になる衝立「芦鯉の図」など、国・市指定の文化財も多い。 小堀遠州作と伝えられる石灯篭が見事。
-
近江兄弟社メンターム資料館
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 博物館
(株)近江兄弟社 本社1階ロビーを「メンターム資料館」として無料開放し、創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の歩んだ足跡を写真パネル展示している。 また、ここで販売している近江兄弟社商品の売上代金は、全額をチャリティ基金とし、社会福祉団体や近年では東日本大震災の復興支援のために活動されている団体等に届けている。
-
ボーダレス・アートミュージアム NO-MA
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 美術館
2004年6月に改築した「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」は、近江八幡市の歴史ある伝統的建造物郡保存地区にある。昭和初期の町屋を、和室や蔵などを活かして改築したミュージアム。 このミュージアムの特徴は、障害のある人の表現活動の紹介に核を置くことだけに留まらず、一般のアーティストの作品と共に並列してみせることで「人の持つ普遍的な表現の力」を感じられることである。
-
近江中山道 武佐宿
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 旧街道
この地は、武佐宿を起点に伊勢に向かう八風街道(八日市・永源寺を通り八風峠を越え伊勢へとつながる街道で海産物、紙、布等の物資が行き交ったとされている。現在の国道421号線がほぼ踏襲。)や、八幡町内へ分岐する交通の要で長さは約1kmに及ぶ。 江戸時代に入って宿次・伝馬の法が一新され、武佐宿駅は大駅となり、宿村大概帳によれば、宿高八百九十余石、町並八町二十四間、本陣一、脇本陣一、問屋二、高札二、旅籠二十三、人足五十人、馬五十頭(最も賑わったときは百五十頭)、家数百八十三、人口五百三十七人と記されている。 江戸時代の最も盛んな頃は三千人余の人の往来があり、近江商人も盛んに行き来したと思われる。その当時の風景は、安藤広重によって木曽街道六十九次にも描かれている。 また、かつては武佐升(近江升とも言われる八合升。秀吉が京升を採用したため薄れた。)や武佐墨(平安時代後期には紀伊国の藤代墨と並び名産だった)などの特産もあったと伝えられている。 中山道はかつて中仙道とも記されたが、幕府は正徳6年(1716年)に中山道と改めた。
-
八幡山城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
八幡山は「鶴翼山(かくよくざん)」とも呼ばれる。 安土城が落城してから3年後の1585(天正13年)年、豊臣秀次は近江四十三万石の居城をこの山に置き、安土城下の人々を移し住まわせた。 最頂部に本丸を設け、その南東に二の丸、西に西の丸、北に北の丸、南西の尾根上一段低く出丸を配置する構造で、山頂から八の字形に広がる尾根上の小曲輪と、尾根に挟まれた南斜面中腹に秀次館跡、家臣団館跡群と思われる曲輪群が階段状に残っている。 秀次の死後、京極高次が入封したが間もなく廃城となった。 現在は石垣を残すのみだが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)が京都から移築されている。また、秀次館跡からは金箔瓦が多数出土し、特に秀次の馬印である沢瀉紋(おもだかもん)の飾り瓦が発見されるなど築城当時の豪華さが伺える。 豊臣秀次について 豊臣秀吉の姉・ともの子。秀吉の養子となり関白職を継いだが、後に秀頼が産まれ、後継者を巡る争いにより自害させられた。 八幡公園には開町の祖・秀次の銅像が建てられている。
近江八幡市の遊園地・テーマパーク・美術館探し
近江八幡市で体験できる遊園地・テーマパーク・美術館の店舗一覧です。
アソビュー!は、近江八幡市にて遊園地・テーマパーク・美術館が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの近江八幡市で遊園地・テーマパーク・美術館を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。