天橋立・宮津・舞鶴の文化史跡・遺跡 スポット 14選
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安良山城跡
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
はじめ一色の居城であったが、応仁の乱後細川幽斎の占めるところとなった.
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雲岩寺跡
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
寺は大永5年(1525)兵火にかかって滅んだが近世に雲岩庵として復興。現在は無人。
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丹後大仏
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
無病息災にご利益のある、丈六の露天石仏の阿弥陀如来像。この大仏は、大正7年(1918)筒川製糸の従業員42名が、東京見物から帰った後、スペイン風邪(流行性感冒)にかかり亡くなった霊を慰めるために建立された。
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弓木城跡
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
中世の戦乱を象徴する山城遺構で、平野部を阿蘇海に向けて突き出た標高50mの丘陵上にある。この城は、丹後一色氏の没落の際、最後の攻防がくり広げられた場所で、戦国時代の丹後における代表的な山城のひとつ。
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作山古墳
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
4基の古墳が集まり副葬品の出土も多く貴重な資料となっている。前方後円墳・方墳・円墳など(古墳公園内にある)
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蛭子山古墳
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
全長145mの前方後円墳で船形石棺の上に木造の小屋がたつ。(古墳公園内にある。)
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安寿姫塚
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
森鴎外の「山椒大夫」で有名な安寿姫と厨子王丸の悲しい物語の舞台となった舞鶴。三庄(山椒)太夫のもとから逃げ出そうとした安寿姫は、非業の最期をとげたが、土地の人々によって手厚く葬られ、今もその塚が残っている。周辺にはアジサイやハナショウブが数多く植えられている。
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鬼の岩屋
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
大江山中腹にあり、その昔源頼光の鬼退治伝説となった岩穴。
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ちりめん街道
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 旧街道
京都府北部・丹後地方に江戸時代から昭和初期にかけて栄えた丹後ちりめん。隆盛をきわめた当時の町並みが残る由緒ある街道。織物工場をはじめ、当地方と京都市内を結ぶ交流の拠点として盛えたいろんな店の名残がありその面影をしのばせる。平成17年(2005)12月27日に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
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丹後宮津城跡
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
宮津城は、天正8年(1580)に細川藤孝(幽斎)が築城したのが始まりとされています。慶長5年(1600)の関ケ原の合戦で、藤孝が宮津城を焼き払いますが、後に宮津に入った京極氏により、寛永年間に再建されました。 明治の廃城により多くの遺構は取り壊され、市街地化しましたが、宮津城太鼓門、宮津城の石、一色稲荷、しらかべの道(H22に復元した宮津城城壁)など、往時の城域を偲ばせるいくつかの遺構が残ります。
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丹後国分寺跡
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
京都府立丹後郷土資料館の前面に広がる史跡。 丹後国分寺は、奈良時代に諸国に建立された護国を祈る寺のひとつです。 現在の遺跡は、南北朝時代に再建された時の姿をよく伝えており、国の指定史跡となっています。 丹後郷土資料館では、丹後地域の縄文時代から近代までの歴史と丹後の織物を紹介しており、国分寺跡関連の資料も展示しています。 2階の展示室では、年5回、丹後に関連した特別展・企画展も開催しています。
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山椒太夫の遺跡
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
◇山椒太夫の屋敷跡 安寿と厨子王の伝説で知られる「三庄太夫」(山椒大夫)の屋敷があったと伝えられる場所。 安寿の里もみじ公園から徒歩約15分。 ◇柴勧進の碑 七曲八峠に向かう道にある碑。ここで柴刈りをしていた厨子王を気の毒に思った村人が、そっと柴を渡したと言われている。 七曲八峠は、明治20年に奈具海岸道路が開通するまで使われた古道。 ◇安寿汐汲浜の碑 山椒太夫伝説の中、安寿姫が1日3荷の塩水を汲んだとされる浜。 場所は丹後由良海水浴場の西端(宮津側)にある。 ◇身代わり地蔵(如意寺) 聖徳太子の弟にあたる麻呂子親王の創始とされる古寺に祀られる、鎌倉時代前期の仏師快慶作の木造地蔵菩薩(ぼさつ)座像(府指定文化財)。 安寿姫と厨子王の二人が逃げぬようにと、その額に焼き印をつけようとしたとき、その身代わりになったと言われている。普段は非公開だが、事前連絡で見せてもらえる場合あり。 ◇安寿の里もみじ公園 宮津市石浦にある数百本のもみじが植えられている紅葉の名所。園内では、野鳥の声を聞きながら、遊歩道を散策することが出来る。山椒大夫伝説の地で、園内には、安寿と厨子王像が建てられている。 紅葉のほか、アジサイ、ウバメガシ、ウツギ、つつじなどの花の名所。展望所からは由良川と日本海が一望できる。駐車可。
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宮津街道普甲峠越
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 旧街道
宮津より大江山を越え福知山にいたる旧街道。 現在は今普甲道(「宮津街道」)と呼ばれるこの道は、かつて宮津藩主の参勤交代や西国三十三所巡礼の28番札所成相寺への略打ち巡礼道として宮津〜河守〜福知山を結ぶ江戸時代の主要街道であった。 石畳道を整備し、幕末に不穏分子の侵入を防ぐために築かれた胸壁跡なども残る。 詳しくはホームページ(福知山市)をご確認ください。
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田辺城跡
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 史跡
細川藤孝は、天正7年(1579)一色氏を滅ぼし、翌8年織田信長から丹後十二万石を与えられて、新城を築いた。これが田辺城で、舞鶴城ともいう。慶長5年(1600)の関ケ原合戦の際、藤孝はこの城に拠って西軍と戦い、戦後、その貢賞として細川氏は豊前四十万石を与えられた。そのあと京極高知が六万石を与えられ丹後の国に入った。のち寛文8年(1668)牧野親成が京都役司代として入城、以後、明治まで十代続いた。昭和15年、舞鶴公園入口に彰古館と呼ぶ隅櫓が建てられ、平成4年には城門(田辺城資料館)が復元されている。◎細川幽斎(1534-1610)京都生れ。本名藤孝。信長に従い、丹後国を与えられる。和歌にすぐれ、古今伝授を受けた。
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