九州の旧街道 スポット 20選
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石畳蒲鉾石・火の道
大分県 大分
- 旧街道
岡藩の中川公が通った旧犬飼港に通ずる道路の両側に置いてある石。
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瀬の本松並木
熊本県 黒川・杖立
- 旧街道
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豊後街道
熊本県 阿蘇
- 旧街道
弁天坂と境の松坂の2つの坂は、肥後藩主加藤・細川両氏が参勤交代道として通った江戸時代より、肥後と豊後を結ぶ街道として利用されてきた。火山灰土のため土砂の流失がひどく、豊後街道の中でも二重の峠、滝室坂に次いでの難所と言われてきた。現存している石畳は、文化4年(1807)から4年の歳月をかけて、久住の手永惣庄屋久住善兵衛が築いたものである。また、弁天坂の途中には日本一の大クヌギといわれる「鞍掛くぬぎ」がある。この街道は阿蘇谷を通って久住に出る。久住は街道のほぼ中央にあたり、東南には竹田へ、北西には小国への道が分かれていた。
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箱石峠
熊本県 阿蘇
- 旧街道
阿蘇山を東方より眺望、眼前に広がる大自然のパノラマ(国道265号)。
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日向街道(石畳)
熊本県 熊本
- 旧街道
日向往還は熊本市新町を起点とし、嘉島〜御船〜旧矢部・清和〜宮崎県高千穂〜延岡へ至る34里木(136KM)の江戸時代の歴史の街道です。御船はインター前から県道221号(田代・御船)線を通り軍見坂を上って、鼎春園近く、八勢眼鑑橋を通り旧矢部町へと進むコ-スになっています。途中、門前川橋や軍見坂を登りきった先の県道には日露戦役凱旋門が建っています。八勢の眼鏡橋を渡りきるとすぐに幅4m、長さ500mの八勢の石畳があり150段余りの石段となっています。
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旧佐敷太郎
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 旧街道
赤松太郎峠、津奈木太郎峠を含めて、三太郎峠といわれ、薩摩街道最大の難所として知られ、明治10年の西南戦争の時には、西郷軍も行軍に難渋したことが、日記等に記されている。明治38年にレンガ積みのトンネルが造られ、国道として整備されたが、自動車量の増加に伴い、昭和40年に新しい佐敷トンネルが造られて、その役割を終えた。
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津奈木太郎(三太郎峠)
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 旧街道
佐敷太郎峠赤松太郎峠を含めて三太郎峠といわれ、当時は難所を極め現在はトンネル(津奈木随道)が通じている。この津奈木随道は、平成14年9月に文化庁指定の登録有形文化財となった。
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麓馬場どおり(武家屋敷跡)
熊本県 人吉・球磨
- 旧街道
上麓地区に残る武家屋敷跡。鎌倉から南北朝時代にかけてこの地を統治した上村氏の家臣達の屋敷や蔵、生け垣などがこの細い通りにあったと言われている。今でも、生け垣などが残っている。
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五足の靴文学遊歩道
熊本県 天草
- 旧街道
与謝野鉄幹、白秋ら明星派の若き詩人5人の一行が大江天主堂のパーテルさんを訪ねて天草を旅した時の旧道。
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日田往還(日田街道)
大分県 日田・天ヶ瀬・耶馬渓
- 旧街道
日田街道とも呼ばれる。江戸時代に九州6ヵ国の天領を統括する為に整備された街道。
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伏木峠
大分県 日田・天ヶ瀬・耶馬渓
- 旧街道
日田市大字花月にある、標高400mほどの峠。日田と中津を結ぶ中津街道上で、一番の難路と言われている。江戸時代に敷かれた石畳が今も残っている。現在は峠の南側に国道212号線が奥耶馬トンネルを通っている。
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今市石畳(参勤交代道路)
大分県 大分
- 旧街道
肥後細川侯の参勤交代道で脇本陣・茶屋代官があった。家の立ち並ぶ幅約6mの道の中央に幅約2m・延長約660mにわたって整然と石が並べられ、往時の大名行列の姿を彷沸とさせる。また同所にある丸山神社の楼門は荘厳である。観光ボランティアガイドさんによるご案内も行われています。
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二重峠石畳
熊本県 阿蘇
- 旧街道
阿蘇市車帰の杉林の中に、かつて肥後藩の大名行列が通った石畳の道が残されている。二重峠の下にあるこの道は、座布団大の石が幅2mほどに敷きつめられ、約1.5kmにわたって続いている。近くには参勤交代の行列が休憩した的石の御茶屋跡もあり、水前寺成趣園によく似たつくりの庭にはこんこんと清水が湧き出している。
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八丁坂
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 旧街道
大岩扇山を登る際の4つのルートのひとつでかつての参勤交代道であった。石だたみの道が200〜300m残る。
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五馬街道
大分県 日田・天ヶ瀬・耶馬渓
- 旧街道
玖珠川、大山川、万年山に囲まれて熊本県境に至る高原を五馬高原と言い、日田から熊本県の小国に至る小国街道のうち、この高原を通る部分を特に五馬街道という。江戸時代、代官道路であったことを偲ばせる。長方形の平らな石が整然と並べられている石畳が今の八本木、山口付近に見られる。
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代官道路
大分県 中津・国東
- 旧街道
豊後森藩主久留島公の参勤交代時の道路。
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羅漢寺旧参道
大分県 中津・国東
- 旧街道
門前より羅漢寺への参道で、俗に100間馬場ともいう。江戸慶長年間造。
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薩摩古道跡
宮崎県 えびの・都城
- 旧街道
室町時代に生活道路として整備され、江戸時代には鹿児島藩の参勤交代に使われたと伝わっているが、『古今山之口記録』や『名勝志御糺方ニ付取調帳』などの記録類にこの古道についての記述は見られない。
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薩摩街道跡
宮崎県 えびの・都城
- 旧街道
日向から鹿児島へ向かう道の一つで、佐土原城下から本庄(国富町)、高岡、浦之名、去川の関所、国見峠、有水、桜木を経て都城に至る道。明応年間(1492〜1501)に三俣院を手に入れた伊東氏が、その本拠地である都於郡(西都市)や領内からの物資を運搬するために開通させたのが始まりという。近世に入り関外四ヶ郷を統括する高岡郷地頭仮屋への通行を円滑にするために街道として整備された。
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掛橋坂(県指定史跡)
鹿児島県 霧島
- 旧街道
古くは、道幅が狭く危険な板敷きの道=「桟(かけはし)」で、地名「掛橋」の由来となった説がある。江戸時代に、藺牟田・祁答院方面と蒲生を結ぶ地方街道として利用され、帖佐郷にあった納屋町御蔵・小烏御蔵まで、毎年多くの年貢米が輸送されました。18世紀末、寛政8年(1796)までには、地山の石を削った石段や切り石を敷き詰めた石畳が完成したようです。明治30年代以降は、馬車輸送のため、急勾配の掛橋坂は避けられ、次第に人々から忘れ去られましたが、市の教育委員会が現地調査や文献調査などを進め、文化的価値を見定めてきました。
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