世界遺産・富岡製糸場はやっぱりすごかった!見どころを徹底レポート【おすすめコースも紹介】

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④女工館

重要文化財に指定されている、1873(明治6)年建築の建物。当初は日本人工女に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われた、フランス人女性教師の住居として建てられました。木骨煉瓦造りの2階建で、首長館と同じ「コロニアル様式」が採用された風通しの良い造りに。建物は後に役員用の宿舎や娯楽活動の場としても使われ、1923(大正12)年からは、食堂や会議室として利用されました。

フランス人用の宿舎3棟のうちの1棟。見学は外観のみ可能です。


⑤検査人館

製糸場の門を入ってすぐの左側にある建物。中は事務所となっているため、見学は外観のみです。

検査人館は、1873(明治6)年に生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として建てられました。その後、1階は事務所、2階には政府の役人や皇族が訪れた際に使用する「貴賓室」として使用。現在も大理石の暖炉装飾や、格子状に組まれた天井など、当初の物が残っています。

現在は重要文化財に指定されている建物。首長館や女工館と同様「コロニアル様式」が採用されています。


⑥ブリュナエンジン

富岡製糸場の設立の際に導入された蒸気エンジンの復元機を展示。毎週土・日曜と祝日の10:30〜14:30は、実際にエンジンが動く様子が見学できます。

ブリュナエンジンは繭から糸を繰る「繰糸器」と、繰った糸を巻き返す「揚返器」の枠を回転させる動力として活躍していました。明治5年の創業当初から電気モーターになる大正9年までの約50年の間使われていたそう。全長は3.8m、重さは2.7tで、17.5馬力あり、外形や運転能力は、オリジナルのものとほぼ同じに復元されています。

西置繭所前の庭に建つ、ガラスに囲まれた近代的な建物の中にあります。


⑦2020年10月にリニューアル!西置繭所(国宝)

建物の大きさや構造は東置繭所とほぼ同じ。1階の北半分の東面は、官営期に蒸気機関を動かすための石炭置き場として使用されていました。

明治5年に東置繭所や繰糸所とともに建てられた西置繭所。東置繭所と同様に2階は繭を貯蔵していた建物で、明治から昭和にかけて115年にわたり繭倉庫として使われ続けました。2020年には保存整備工事が完了し、公開活用を開始。国宝となっている建物の中で、歴史を物語る貴重な資料の数々を見学できるようになりました。

中央の入口から入って、まずは1階のギャラリーへ。

製糸場で働く女性従業員の作業着の変遷を紹介。写真奥は一番古く、奥から手前にかけて時代が新しくなります。

1階の北奥にあるホール。国宝の中にあるガラスのホールとして話題となりそう。多目的に利用される予定です。

昭和後半に使われていた荷上げ用リフト。柱に書かれた「人は絶対に乗るな/工場長」の文字から、当時の作業の様子が伺えます。このエレベーターは見学のみで使用はできないので、建物の2階へは新しく設置された現代のエレベーターで。

貯繭倉庫として使われていた2階では、高く積見上げられた繭袋を再現。1袋に15kg、7,500〜9,000頭分の繭が入っていたそうです。ちなみに蚕は家畜とみなされ、1匹2匹…ではなく、牛などと同様に1頭2頭…と数えるのだとか。あんなに小さいのに、ちょっと不思議な感じですね。

整備活用設計にあたり制作された西置繭所の模型。細部まで精巧に作られ、建物内にはライトも付いてリアリティ満点です。

昭和57年頃のレンガ。壁面の一部として使われていました。

建設当時の屋根瓦や鬼瓦なども残されています。

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