平戸・松浦・田平の神社・仏閣 スポット 14選
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カトリック田平天主堂
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
長崎県平戸市田平町にあるカトリック教会ならびにその聖堂。正式には「カトリック田平教会」、所在地にちなみ「瀬戸山天主堂」とも。国指定の重要文化財である。1886年以降、ラゲ神父やド・ロ神父が買い取った土地に黒島と出津(外海)から移住して来た信者が造り上げたもので、1918年に現在の形に建立した。堂内では帽子を脱ぎ私語を慎むこと、写真撮影は原則禁止など入堂に際しての注意点が示されている。松浦鉄道西田平駅から車で5分。
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カトリック紐差教会
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
まるで絵本の中に入ったような神秘的な雰囲気の教会です。 東洋でも指折りのロマネスク様式の天主堂で、柱が少なく、外観よりも大きな規模を感じる内部は、神秘的な空間を醸し出しています。
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亀岡神社
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
市民の産土神として崇敬を集め、“平戸くんち”の際には、様々な神事がとり行われます。 特に国指定重要無形民俗文化財「平戸神楽」全24番が奉納される大大神楽は年に一度、この亀岡神社でのみ奉納されます。 社宝の「環頭の太刀」は、国の重要文化財に指定され、平戸城に展示されています。
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普門寺
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
松浦家第35代観中熈公のお墓があります。 境内には1814年、平戸藩主代21代松浦義が植えたとされる大杉だけで「景粛堂」が建てられ、大杉一本のみで建てられたため、「一本堂」とも言われています。 1979年2月に市の文化財に指定されました。
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平戸ザビエル記念教会
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
勝尾岳北山麓に昭和6年に建設され、昭和46年ザビエルの平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、名称も「平戸ザビエル記念教会」と改められました。 平戸ザビエル記念教会は寺院に囲まれており、寺院と教会の見える風景としても知られています。
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最教寺
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
最教寺は806年、空海が唐より帰国した際、この地で座禅などを行ったとされることから開かれた寺院であり、1607年に平戸藩主第26代鎮信により建てられました。 毎年、節分の日に行われる「子泣き相撲」が有名であり、仏涅槃図等の貴重な物が展示されています。 ひときわ目立つ朱色の三重大塔もあり、多くの観光客や参拝者が訪れています。
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雄香寺
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
雄香寺は1695年に平戸藩主第30代松浦棟(たかし)が、的山大島(あづちおおしま)より江月庵を、現在地へと移し、松浦家の菩提寺としたものです。 寺の中には松浦棟以降の藩主や側室などの墓があります。 敷地内にある「開山堂(別名赤堂(あかどう))」は1987年3月に県の文化財に指定されました。
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千光寺
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
1191年、栄西禅師が中国のお茶の種子を持ち帰り、茶の実を播いた古い茶園で、お茶の起源とされている。その下方に、昔「冨春庵」が建っていた所で、南の隅に栄西禅師が座禅を組んだと伝えられている「座禅石」がある。そばに梅林寺の猷禅老師によって千光祖師座禅石と書かれた碑が建てられている。
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住吉神社
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
神功皇后征韓の途中荒天のため、三代の浦に御着船。御手洗の渓流をたどり安丸を通られ、四囲の状況、朝鮮の望見、軍船の指揮等を勘案されてここを本営とされ、海の神「住吉の宮」を祀られたと伝えられている。 今より、約500年前、山内家の祖山内権太夫が上洛して神職を拝命、底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后を祭神として勧請、住吉大明神と称している。 昭和11年神殿・拝殿竣工。平成21年に屋根及び壁板の修繕がなされている。境内には、昭和55年2月29日に長崎県の指定となった天然記念物のアコウの樹がある。住吉神社の御神体は、御鏡3面、唐金御像1体、宝物として写本の大般若経600巻と懸仏53面がある。 (懸仏は昭和49年10月8日長崎県指定有形文化財、大般若経は平成21年9月30日松浦市指定有形文化財、松浦市立埋蔵文化財センターで保管。)
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福寿寺
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
境内に樹高20mに達するイロハモミジがある。イロハモミジは、南日本と朝鮮半島の山地に自生するが、広く栽培されて、多くの品種ができた。カエデ類のうち、葉はいちばん小形で可愛らしい。 この意イロハモミジは、おそらく植えたもので、葉の形は自生のものと同じである。 根元近くの幹囲は、3.25mで、この種としては珍しい巨樹で、樹形も美しく貴重である。
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今山神社
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
創建は、はっきりしないが、寛文4年(1664年)再建されたとあるので、少なくともそれから百年遡って考えてもよいかもしれない。 懸物は平安中期の神仏習合の信仰から生まれたもので、江戸時代初期に姿を消した。 今山神社は、古くは今山権現といわれ、権現が神仏混合時代のものからすれば、今山神社にあっても不思議ではない。1400年ごろのものといわれる。 今山神社叢は海抜約160mの丘陵上の平坦な地形に発達した照葉樹林です。 建物と社叢が調和し,見事な自然林が残る。
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三柱神社
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
祭神はスサノオノミコト、オオナムチノミコト、イナダヒメノミコトの三柱でした。 977年(平安時代中期)、佐々の地頭古川伊予守が、埼玉県大宮市の氷川神社から分霊をもらい、佐々郷古川岳の絶頂に神殿を設けて「三尊大明神」と称し、そこに三神を祀りました。そして、古川岳の一つを三尊岳と呼ぶようになりました。その後、移転や社名変更を繰り返し、現在の位置で三柱神社と呼ばれるようになりました。1144年9月9日には、佐々で初めておくんちが行われ、郷中安全、五穀豊穣の祈願が行われるようになりました。また、1181年には、佐々郷で流行した疫病をおさめるために祇園祭が始まりました。おくんちも祇園祭も、今も佐々で行われている伝統的なお祭りです。 三柱神社には、今も多くの歴史物が残されています。古くから神社に奉納されている絵馬は、享年年間のものが残っています。また、松浦第三十三代安清公誠信より寄進された宝刀、1688年に寄進された鳥居が健在です。
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医王山東光寺
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
数々の伝説が眠るお寺です。室町時代(1436年)に創建されました。土佐の松蔭禅師が、今の東光寺裏山にあった虎頭岩を見て、この地を絶勝の地であるとし、日夜座禅をしたことが始まりとされています。本尊とされる「東方薬師瑠璃光如来」は、領主・松浦弘定が寄進したもので、美しい金塗りの木彫り座像です。弘定の養子である興信は、戦いの際本尊薬師如来を陣中にお迎えして祈願したところ、勝利したという記録が残っています。また、豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した際も、本尊如来は常勝仏として松浦鎮信の陣中に祀られ、七年にわたる長い戦いに勝利。薬師如来は再び返礼奉安され、奇跡的に今日まで保存されています。今も、この奇跡の薬師如来像を拝むことができます。また、半坂合戦(1563年〜1564年)の際、東光寺に城を構えていた平戸松浦軍に加勢した伝育坊が使っていた武器が保存されています。事前に予約をすれば、座禅体験や写経体験なども出来ます。佐々のパワースポットとして有名な東光寺へぜひ足を運んでみてください。
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清流山正福寺
長崎県 平戸・松浦・田平
- 神社・仏閣
1583年(天正11年)に神田川添に淨慶が開基し、1690年元禄3年に現在の口石に移転しました。淨慶は、江州(現滋賀県)にあった称福寺の出でした。当時の日本の歴史を振り返ると、織田信長が天下統一を目指して近隣に勢力を伸ばしていた時代でした。同時に、真宗の信仰によって団結した農民が武士に対抗して一揆を起こし、信長は己の目的達成の邪魔者として仏教を排除していました。僧たちは信長の勢力範囲から逃れて、信仰を広めるための新天地を求め旅に出ることを志しており、淨慶もその中の一人でした。修行のため九州に下向した淨慶がこの地に小さい寺を建てたということが、「正福寺伝承」に書き残されています。正福寺には今も多くの書物が残されており、当時の様子を物語っています。
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