伊豆諸島・小笠原諸島の史跡 スポット 20選
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探照灯基地跡と六本指地蔵
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
都道脇の壕の中に、戦時中の旧日本軍が設置した大型の探照灯の残骸が残っている。その先の都道脇にお地蔵様が2体あり、右側のお地蔵様の左手は、なぜか指が六本ある。
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小笠原開拓碑
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
明治に入り、政府は小笠原の本格的な開拓を始めた。その開拓に際し建立された石碑で、都の文化財に指定されている。この石碑は小笠原新治碑とともに、江戸から明治にかけての小笠原の開拓史を知る上で貴重な資料である。
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小笠原新治碑
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
小笠原が日本の領土であるということを示すために建てられた石碑で、都の文化財に指定されている。1862年1月(文久元年12月)、江戸幕府は小笠原島回収・開拓のため、外国奉行水野忠徳一行を幕府軍艦咸臨丸で派遣し、小笠原島を調査させた。その際、咸臨丸に載せて送られたのが、この新治碑である。
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にほへの碑
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
1862年9月(文久2年8月)、江戸幕府は幕府軍艦朝陽丸で、八丈島から島民30名を父島に開拓移住させ、そのうちの子どもに幕府役人が読み書き手習いを教えた。この碑は、使い終えた筆を供養するための筆塚として文久2年の冬に建てられた。幕府の国内外事情により、小笠原島開拓は明治期まで中断されたが、江戸時代末期、寺子屋式の教育が小笠原島で行われたことを今に伝える碑として、小笠原村の文化財に指定されている。
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咸臨丸墓地
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
1862年1月(文久元年12月)、江戸幕府は小笠原島回収・開拓のため、外国奉行水野忠徳一行を幕府軍艦咸臨丸で派遣し、小笠原島を調査させた。その咸臨丸で亡くなった乗組員を葬った墓地で、小笠原島に漂流し亡くなった者の霊を慰めるため、翌年の1862年9月(文久2年8月)、八丈島の移民を乗せた幕府軍艦朝陽丸で「漂流者冥福碑」を運搬し、奥村の地に建立した。この碑は、小笠原島が古くから日本の領土である証拠の一つなるようにとの意味もあって建てられたものである。 1993年(平成5年)、土砂に埋もれていたこの碑を掘り起こし、他の墓石等とともに周辺より一段高くして、土砂に埋もれないよう整備し、現在では小笠原村の文化財に指定されている。
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蟲塚
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
母島の農業が戦前もっとも盛んであった1935年(昭和10年)8月に建てられたもので、蟲塚とその台石は母島に産するロース石でできており、村の文化財に指定されている。母島では、明治10年代からサトウキビ栽培、昭和に入ってからは冬季野菜栽培が盛んに行われた。バッタ(イナゴ)の大発生によって、サトウキビ栽培が被害を受け、その駆除に苦労したという。農家にとって、害虫駆除はどうしても必要な作業である。しかし、虫も生き物であり、殺生したものの供養のため、蟲塚が建てられたという言い伝えがある。
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モットレイ夫婦墓・良志羅留普墓
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
都営住宅の上の沖村墓地内にあり、都の文化財に指定。モットレイ夫婦はイギリス人で、母島開拓史上、重要な人物で、良志羅留普(通称ロース)はドイツ人で、ロース石を発見するなどの功績を残し、地名にも名を残している。
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北港忠魂碑
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
北港の駐車場に遊歩道の入口がある。海軍第三百九設営隊による1945年(昭和20年)に建てられた。忠魂碑の3文字は母島産のロース石に堀り、はめ込んである。
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東港探照灯下砲台
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
探照灯基地跡の少し先の入口から道を下ると、旧日本軍の高角砲がジャングルの中に2門残存している。途中の道はメグロなどを観察しながら歩ける遊歩道になっている。
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北村小学校跡
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
北村小学校の開校は1887年(明治20年)。戦前の母島には沖村と北村に集落があり、1944年の強制疎開まで、ここに北村小学校があった。石段を登った両側に、製糖圧搾機の石ローラーを重ねた門柱が残る。ガジュマルに覆われた道路脇の石垣が当時を偲ばせる。
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大石山遺跡
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
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佐々木卯之助の碑
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
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服部屋敷跡
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
幕府御船預り役服部家の屋敷跡。玉石垣と庭が残る。
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八丈島役所跡
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
享禄元年(1528)に北条氏綱の家臣が代官となって来島し,ここに陣屋を設けたのに始まり,以来明治41年(1908)まで380年間,島政の中心となっていた場所である。現在は玉石垣だけが残されている。
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八重根のメットウ井戸
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
村の人々によって造られた井戸で,その形がメットウ貝に似た漏斗状のところから「メットウ井戸」と呼ばれてきた。水が貴重である八丈島では,この水は村人ばかりでなく,寄港する船にとっても大切な飲料水であった。
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ゾウ遺跡
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
御蔵島の北側の海岸、高さ50mの断崖の上で発見された縄文期の遺跡です。 ふくまる商店さんの裏手側あたりにあります。
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小金井小次郎の井戸
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
大喧嘩と賭博開帳の罪で、安政3年(1856)に流されてきた侠客小金井小次郎が島民のために作った井戸。
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島役所跡(三宅島役所跡)
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
現存する木造建築としては伊豆諸島最大。天文3年(1516)建造。住居として使用中のため内部は非公開。樹齢450年のビャクシンの巨樹は天然記念物。
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流人塚
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
日蓮宗不受不施派の僧たちの供養塔。
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刑場の跡
東京都 伊豆諸島・小笠原諸島
- 史跡
流罪中再び罪を犯した11名の流人を処刑した場所。
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