大阪府の史跡 スポット 20選
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黒姫山古墳
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 史跡
古代遺跡を見事に復元。 黒姫山古墳は、全長114メートル、前方部の幅64メートル、高さ11メートルの前方後円墳。古墳時代の中期に築造されたと考えられており、中世には砦としても利用されていた。古墳の壕の周りには、周庭帯(古墳を綺麗に見せるための工夫)が施されており、当時の日本人の美へのこだわりがうかがえる。ガイダンス施設では黒姫山古墳の発掘調査で出土した甲冑や埴輪が展示されている。 その他 【堺市立史跡黒姫山古墳歴史の広場ガイダンス施設】開館時間:10時~16時 休館日:月曜日(祝日の場合を除く)、祝日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)
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宇度墓古墳
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 史跡
墳丘長170メートル、前方部幅約120メートル、後円部径約110メートルで、周濠部分まで含めると全長200メートルを超える大きさを誇る。現在は五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)墓として宮内庁の管理を受けているため、詳しいデータや埋葬施設などは謎のまま。
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西陵古墳
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 史跡
その規模は全長約210m、後円部直径約115m、前方部幅約100mを誇っている。墳丘は三段築成で現在も良く残り、西北側のくびれ部には「造り出し」を有している。古墳の周濠は、いつからか農業用水の溜池としても利用されており、周辺の畑には農作業に取り組む人の姿が多数見られる。
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玉田山古墳群
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 史跡
玉田山の西斜面の山麓に位置する、砂岩で築かれた古墳群。玉田山1号墳・2号墳ともに横穴式石室を持ち、泉南地方で石室が見学できる数少ない古墳の一つ。1号墳からは、金環・銅環・コハク玉・鉄鏃・須恵器の長頸壺などが出土されている。
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国府遺跡
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
国府遺跡は、旧石器時代から中世に至る集落遺跡です。大正6年に日本で初めての本格的な発掘調査が実施されて以来、縄文時代から弥生時代の人骨が計90体検出されています。また、飛鳥時代には衣縫廃寺(いぬいはいじ)が創建され、塔心礎(とうしんそ)は現在でも史跡内に残っており、国の史跡に指定されています。その名からも連想されるように奈良・平安時代には河内国府が設置され、河内国の政治的中心地であったと考えられています。
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河内大塚山古墳
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
二市に拡がる雄大な古墳。 河内大塚古墳(大塚陵墓参考地)は、前方後円墳。墳丘長約335メートル、後円部約185メートル、前方部の幅約230メートル、幅35~70メートルの濠を持つ。全国第5位の規模を誇る大きな墳丘で、時代とともに形態を変えていった前方後円墳の最終段階にものといわれている。5世紀後半から5世紀末にかけてのものとされている。古墳は東西を二分するように、松原市西大塚と羽曳野市恵我ノ荘にまたがっている。
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安福寺横穴群
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
木々に囲まれた小さな谷のような安福寺参道の両側には、古墳時代の横穴がある。凝灰岩(ぎょうかいがん)に掘削された横穴群で、40基が確認されている。古代人の住居といわれたこともあったが、実は古墳時代の墓である。騎馬人物像の線刻壁画や陶棺を伴う横穴があり、これらの横穴は、6世紀中ごろから7世紀初めにかけて造られたことが、出土した土器などからわかっている。その時代には石を組んで石室に土を盛った古墳が多く、横穴は大阪府では柏原市にしか見られない珍しいものである。ここは、府の指定文化財となっている。
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田辺廃寺跡
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
田辺廃寺は、田辺史人の氏寺として、白鳳時代末に創建されたと考えられている。発掘調査では、金堂・西塔・東塔・南大門・回廊の遺構が見つかった。また、中門の北側に東西両塔を配した薬師寺式の伽藍配置が確認されているらしい。
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飯盛城跡
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
標高314メートルの山頂に、飯盛城跡の碑とひっそりと残る石垣の一部がある。1467年(応仁元年)に始まった応仁の乱は世を戦国の時代へと巻き込んでいった。戦略上重要であった飯盛城は、この争乱の中で木沢長政から安見直政へとその城主は移り変るが1560年(永禄3年)ついに畿内勢力の掌握に成功した群雄三好長慶の居城となる。各尾根の要所には郭(くるわ)と呼ばれる陣地が設けられ、山全体が堅固なる要塞であり、その規模は中世山城としては最大級とされている。 営業 見学自由
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大師堂
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
竹内街道沿い岡公園の隣に位置する大師堂です。 公園との間には、竹内街道石碑が立てられています。
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寝屋古墳
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
JR寝屋川駅より約1.5kmの距離にあるこの古墳。直径約22m、高さ約5mあり、北河内では最大の横穴式石室をもっている。公園の北側に巨石を利用した横穴式石室の入口がみられ、その構造から、古墳時代後期にあたる6世紀末~7世紀初め頃に造られたと考えられている。また被葬者はかなりの権力を持ち、広範な地域を治めた有力な豪族だと推定されている。
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石の宝殿【石宝殿古墳】
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
寝屋川市東端、生駒山に続く丘陵には多くの古墳が残り、そのうちこの特殊な横口式石槨(せっかく)をもつ古墳が「石の宝殿」、または「石宝殿古墳」として知られている。上面を平坦に加工した底石(下石)の上に、埋葬部分をくり抜いた蓋石が重ねられている。その大きさは、直径3m/高さ1.5m。内部は幅0.9m/高さ0.8m/奥行き2.2m/入口部分は幅0.5mと狭い。横口式石槨は大阪府に約20例あるが、全て石川流域に集中しており、石の宝殿だけが他より離れ、形式的にも明日香村の鬼の厠(かわや)・鬼の俎(まないた)と同じく、非常に特異なもの。日本に仏教文化が伝わったことを受けて、ここに死者を火葬した後、骨を容器に入れて納めたと推定されている。『河内名所図会』によれば、このそばから、金銅製の骨壷が見出されたという。前面左に、「天岩戸大日如来」と刻んだ元禄9年(1696)の石碑がある。天照大神の岩戸隠れにちなみ、神仏習合の信仰を表すものと言われている。
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高宮廃寺跡
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 史跡
この周辺には、高宮遺跡とよばれる縄文時代以降の村の遺跡が出土しており、なかでも飛鳥時代から白鳳時代にかけての住居跡は、古代氏族の屋敷と庶民の住居の様子を示している。白鳳時代に創建された高宮廃寺は、彼らの氏寺として建立されたものらしい。この寺は平安時代に一時廃絶、鎌倉時代に再建され室町時代に至るまで続いたもので、寺跡は国の史跡に指定されている。
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百済寺跡
大阪府 大阪北部(茨木・高槻・箕面・伊丹空港)
- 史跡
中宮にある特別史跡百済寺跡は、8世紀後半に百済王の末裔である百済王氏(くだらのこにきしし)が、難波からこの地に移り、一族の氏寺として建立した寺跡と考えられています。昭和16年に国の史跡に指定され、昭和27年3月に特別史跡となりました。府下で大坂城跡とならぶ特別史跡でありながら、老松や雑木が繁って立ち入る人もなく、熊笹の合間に礎石が見られる荒廃ぶりでしたが、全国でも初めての史跡公園として、昭和41年から2年間かけて市民の憩いの広場に整備されました。 寺院の遺構が復原された公園には、礎石などがよく残り、双塔式の美しい伽藍配置を浮き立たせ、金堂にとりつく回廊跡には灌木が植えられ、四季折々の風情が訪ねる人に潤いを与えてくれます。自然の老松や補植された黒松・赤松が濃い緑で遺構を包んでおり、松の梢をわたる風は、訪れる人々に、ありし日の七堂伽藍の面影を語りかけるようです。平成17年度から百済寺跡再整備のための発掘調査が行われ、官寺的施設を備えた格式高い寺であることがわかってきました。 【料金】 無料
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牧野車塚古墳
大阪府 大阪北部(茨木・高槻・箕面・伊丹空港)
- 史跡
自分の足でゆっくり古墳の丘の上を歩ける古墳。 全長107.5m、前方部44m、後円部径54.5mの前方後円墳。墳丘は二段築成になっており、周囲には空濠がめぐらされている。墳丘の形状から、5世紀前半の築造と推定され、国の史跡に指定されている。公園として整備されているのでのんびり見学してみては。
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伝能因法師墳
大阪府 大阪北部(茨木・高槻・箕面・伊丹空港)
- 史跡
「能因塚」の名で親しまれている。大きさは東西16メートル、南北25メートル、高さ1.8メートル。平安時代中期の歌人・能因法師の墓と伝えられている。墳墓正面には能因顕彰碑が建つ。碑文は儒学者林羅山のもので、高槻城主永井直清が建立した。周辺には能因の書を埋めたという文塚、かつて名水とうたわれた花の井や不老水があり、能因法師墳とともに高槻市の史跡に指定されている。
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摩湯山古墳
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 史跡
4世紀後半頃の前方後円墳で墳丘全長約200m、後円部径約127mにおよび、前期古墳としては大和地方以外では最大級の規模。国の指定史跡。かつて鰭付円筒埴輪などが採集されていますが、本格的な調査は未だ行われていません。4世紀後半ころに泉州地域で大きな勢力をもった在地首長の墳墓と推定されます。現在は墳丘全体が山林となっており、外形実測はもとより墳丘内への立ち入りはできない。
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久米田古墳群
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 史跡
池尻町付近の標高35~40mの久米田丘陵にあります。過去、10数基の古墳があったと考えられていますが、現在は8基の古墳が確認されています。そのうち、貝吹山古墳、風吹山古墳、無名塚古墳の3基は現在、一部整備され久米田公園の中に存在します。 古墳時代、岸和田市のある和泉地域で力を持っていた首長のお墓(古墳)は、岸和田市摩湯町にある摩湯山古墳から始まります。その後、岸和田市近隣で貝吹山古墳と同等の古墳が造られていきます。しかし、時代が下るにつれて、中央政権と和泉地域の首長との関係の変化などから岸和田市内では大規模な古墳は造られなくなりました。
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土塔
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 史跡
高僧・行基が建立した大野寺伽藍の南東に造られた仏塔。ピラミッド型、瓦葺き土塔の遺跡としては全国唯一のもの。 大阪府堺市土塔町に位置する大野寺は真言宗の寺で、奈良時代の高僧・行基が建立した四十九院のひとつ。その大野寺伽藍の南東に仏塔の跡が遺されている。一辺が53.1m、高さ8.6m以上の四角錘の頂部を切り取ったような形をしたこの仏塔は、周囲から夥しい瓦が出土していることから、もともとは13段のピラミッドのような形をした、瓦葺きの土製の塔だったと考えられている。また、出土した瓦のうち約1200点には、丹比連(たじひのむらじ)、秦、矢田部連(やたべのむらじ)といった摂河泉地域の氏族や僧侶、一般民衆ら、築造に協力した人たちの名前らしき文字が描かれている。全国的にも、これだけ多くの古代の文字資料が発見されるのは珍しいとのこと。よく似た遺構に、奈良市高畑に残る石積みの「頭塔」があるが、大野寺の土塔のように表面が瓦で覆われた塔は他にない。昭和28年(1953)、国の史跡に指定された。
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百舌鳥古墳群
大阪府 大阪南部(堺・岸和田・関西空港)
- 史跡
大仙公園を挟んで、仁徳・履中・反正の大王墓のほか、4世紀末ないし5世紀初頭~6世紀後半頃に築造された、巨大前方後円墳44基が集中。 堺市のやや北部に位置し、かつては100基以上あったといわれるが、現在は大仙公園を挟んで、仁徳天皇陵古墳(墳丘長486m)と履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん:墳丘長365m)、東側にいたすけ古墳(墳丘長146m)、御廟山古墳(ごびょうやまこふん:墳丘長203m)、ニサンザイ古墳(墳丘長290m)、北側に反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん:墳丘長148m)ほか、合わせて44基が残っている古墳群。その多くが巨大な前方後円墳で、4世紀末ないし5世紀初頭~6世紀後半頃に、大王墓として築造されたと思われる。なお、百舌鳥(もず)という名前は、『日本書紀』によると、かつて石津原(いしづのはら)と呼ばれていたこの地に仁徳天皇陵を造営する際、工事にかかった人たちの中に鹿が飛び込んで倒れ死に、その鹿の耳から、耳の中を食い裂いた百舌鳥が飛び出したため、地名を「百舌鳥」に改称したという。 料金: 見学自由
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